我が家的「SONYからAppleへ」 雑感

昨日のニュース

米アップル社、純利益は116億ドルで94%増 iPad 2.5倍、iPhone 88%増
1〜3月、売上高ともに最高

「利益94% 増」って、今の日本企業にとってはクラクラするような数字だろうと思います。高度成長期には、日本でも数多の製造業の企業が今のAppleのような勢いだったのでしょうけど。

やはり数日前のニュース

ソニー最終赤字が過去最大5200億円に、米国の繰延税金資産取り崩し
最終赤字は4年連続。

「4年連続赤字」「過去最大赤字」って、素人が考えれば、胃に4つくらい穴が空くのでは?と思ってしまうのですが、では社長も交代して来期は上向くのかと言えば、同じくド素人が考えても悲観せざるを得ないわけで、後は平井新社長の胃袋が強靭なものであることをお祈りするばかりですが。


そのド素人であるわたくしが、つい先日山手線に乗っていたら、大崎駅から乗ってきて私の前に立った男性が
SONY make. believe」とロゴの入った黒いトートバック

を持っていたので、「ああSONYの社員なのかしら?それともお客さんとして貰ったバッグ?」と思っていましたら、彼が取り出していじり始めたのはiPhone でした。私は会社としてのSONYとは全く縁がなく、それどころか家の中はApple製品だらけ、という人間ですが、それでも複雑な気持ちになりました。でもその気持ちのままつらつら考えていたら、つい10年もしない昔、私の身の回りにはApple製品は一つもなく、それどころかSONY製品が溢れていたことを思い出したのでした。

2004年の5月に夫の転勤でドイツに赴任したのですが、その直前の我が家にあったSONY製品を年代順に思い出してみました。ちょっとしたSONY製品の歴史かもしれません。

テレビその1

1980年代半ばに、斬新なデザインと、この大きさ(16インチくらい?)で「リモコン付き」、というのが魅力で買ったテレビ。
「そんなもの(リモコン)はすぐに壊れるからやめておきなさい。テレビは東芝よ。」という、実母(東芝関係者ではありません。いわゆる主婦感覚)の言葉が思い出されますが、その言葉とは裏腹にこのテレビは長持ちしました(15年くらい)。寝室に置いて、寝る前にリモコンでザッピングできるのが(それまでは「テレビのチャンネルは手で回すものだった」というのが、今思い出しても信じられません)、何より便利でした。
テレビその2

1989年に息子が生まれる時に、衛星放送やビデオが見られるテレビに買い替えました。この年は、天安門事件の年であり、ベルリンの壁が壊れた年でもありました。生まれたばかりの息子を抱っこしたまま、衛星放送でライブで伝えられる世界の動きを見ていました。尚、ビデオレコーダーは勿論VHSビクターだったと思います。
ビデオカメラ

浅野温子のCMが懐かしいSONYのハンディカム、パスポートサイズ。
親になった私は勿論世の親ばか族の仲間入りをして、ビデオカメラも買い、せっせと息子の成長を記録しましたね。
マイファーストソニーのラジカセ

これは息子が5歳くらいの時のクリスマスのサンタさんのプレゼントだったのでした。これで童謡のカセットを聞き、レンジャーものの主題歌や幼稚園のお遊戯会のダンス曲などを熱唱していたのが、昨日のことのようです・・・。
テレビその3
先代のテレビは、世の女性同様寄る年並に勝てず(それでも10年もちましたが)日々映像の色が褪せていたところ、或る日突然天気予報の画面の緑部分が赤に変わってしまい、一度は修理したものの、子どもが友達を読んでゲームする時の専用テレビとなり、その代わりに買った一台ですが、奥行きが先代のテレビよりも狭くなっているのに驚いた記憶があります、それも今の薄型テレビに比べれば、まだまだ「分厚いテレビ」だったのですが。3代目のテレビもSONYを選んだ理由は、初代、2代目ともちが良かったのと、それと何と言ってもデザインだったと思います。このテレビは昨年地上波が終了するまで、我が家のリビングに鎮座しておりました。
ネットMDのコンポ

CDからMDに録音したくて買ったコンポでした。当時私は取扱説明書でこの「Net MD」という説明

USBを用いてパソコンとMDを接続する新しいインタフェース規格「Net MD」。CDや電子音楽配信(EMD)からダウンロードした音楽データをパソコン上に保存し、パソコンとUSBで接続したMD機器に著作権保護しながら音楽データを高速転送できます。MDディスクは既存のものを使用できます。Net MD Information

を何度読んでも理解できないというか、イメージできなかったのでした。これって、今のAppleの仕組みそのものですよね。iTunesで音楽や映画を買って、iPodiPadiPhoneで楽しむのと全く同じことなのです、でも今から10年くらい前の私の頭には俄には入らなかったことを考えると、今年配の方に、iTunesの仕組みを説明してもわかって頂けないのもむべなるかな、と思います。
お風呂用CDプレイヤー&ラジオ

これは確か娘が10歳くらいの時のサンタさんのプレゼントだったと思います。普通にCDを聴くのは勿論、お風呂でも聴けるのがミソでした。ドイツ時代は、私も娘にこれを借りてドイツ語のCDをお風呂で聴いたり(←何という向学心!)して、結構最近まで使っていましたが、去年の引っ越しの時に処分しました。壊れていた訳ではありません。ていうか、私の印象では「SONY製品は、意外に(?)長持ちする」というものですが、如何せん、音楽の聞き方が変わりました。「iTunesで好きな曲(アルバムではなく)を買って、プレイリストを作ってiPodで聴く」という行動をしていると、「お風呂でCD1枚聴く」ということはもう考えられないのです。CDの中にはお気に入りとそうでない曲が混在しています。あまり好きでない曲を「CDに入っているから」といって聴くことはなくなりましたから。←これって、実は上述の「Net MD」の考え方そのものなんですよね。
CDウォークマン

まさにこのブルーのCDウォークマンでした。これを買った時には、性能や価格よりもこの「色」にやられた気がします。

MDウォークマン

当時夫は「ヒアリングマラソン」に傾倒していて、それをMDに録音して通勤時に聴く、ということをやっていました。上記のCDウォークマンでは嵩張るので通勤には不向きだったのです。夫が買う時に私もどさくさで買って、掃除機をかける時などポケットに入れて音楽を聴いていましたっけ。

ちょっとここで《閑話休題

2004年当時、日本では電車の中で音楽を聞いている人は殆どが携帯MDプレイヤーでした。ところがドイツに行ったら、MDプレイヤーなんて見かけないのです。電車の中で向かい側に座っている高校生くらいのドイツ人の男の子が、無骨なポータブルCDプレイヤーを出して音楽を聞いているのを見て、「何て後進国なんでしょう、先進国ではこうなのよ!」とばかり、これ見よがしに、SONYのスタイリッシュなMDプレイヤーをわざとその男の子に見えるように取り出してみせ、すましてイヤホンを耳に入れて聴き始めたところ(草の根愛国運動)、その男の子が東洋の技術の高さに圧倒されて目を見張っていたのは良い思い出。しかし、その東洋人オバサン(注:私)の優越感も長くは続かずに、ヨーロッパはすぐに携帯MP3プレイヤーに席巻されてしました。そして同時並行して、否、突然爆発的に、iPodを見かけることが倍々ゲームで多くなっていったのでした。結果的にそこからAppleの大攻勢が始まったわけですが。

2000年頃に買い替えた我が家の二台目のパソコンは(1台目は奇しくもApplePerformaだったのですが)
VAIOのデスクトップパソコン

懐かしいですね、この藤色のスピーカーやライン。まだPCが「一家に一台」の時代でした。最初は夫の書斎というかデスクの上にあって、家族それぞれが「パソコンやっていい?」とお伺いをたてる時代でした。小学生だった息子と娘は「ポストペット」や「算数戦士ブラスター」に夢中で、彼らが喧嘩しないように「宿題とピアノが終わっている人から一人30分」とルールを決めたものです(ルールがあっても紛争が起こるのは世の常でしたが)。このVAIOで、子供たちの学校のPTAやバザーのプリントを何枚作ったことか!ドイツ赴任後は、夫と息子がそれぞれ一台ずつ東芝dynabookを買ったので、私と娘専用のPCになりました。携帯電話文化がないドイツでは、子供たちの中ではMSNメッセンジャーが大流行りで、私がPCに向かっていると、その前にPCを使った娘がオンラインのままにしていたせいで、ドイツ人やアメリカ人のマメ男くんたちからのメッセージが頻繁に画面に表示されてなかなか楽しかったです。しかしこのVAIO、酷使しすぎたせいか、日本生まれでドイツの気候が合わなかったのか、ドイツ滞在中にお亡くなりになりました。その時のパニックを思い出すと今でも背筋が寒くなりますが、何とかデータを取り出すことができ、急いで後継に買ったのが台湾製のBIOSTARでした。日本ではあまり名前を聞かないメーカーですが、このPCは「使う」ということに関しては何の問題もありませんでした、でも正直VAIOに対して持っていたほどの「愛着」は湧きませんでした。何故なのでしょうね?

中学生になった息子の机の上にはこれがありましたね。

名前も「Qbric」という格好の良さですが、何ともスタイリッシュなこの形。マイファーストソニーのラジカセもそうでしたが、「他では作っていないデザイン」なのでした。そこに置いてあるだけで嬉しくなる製品でした。しかしデザインは素晴らしくても、もう今ではこの「CDやMDをコンポで聴く」ということ自体を若者はしません。PCで音楽を聴くのです。本当にこの10年ほどで、音楽の聞き方がすっかり変わってしまいました。

そして忘れてはいけないのが、これ!


息子が小学生中学生だった頃、友達がくれば、ゲーム専用テレビになっていた上記のテレビ2の前に友達皆が陣取ってゲームやっていました。一人で背中を丸めてやるゲームは感心しませんが、友達とワイワイやるゲームはいいものだと思いました、まだ「ウチでは子供にゲーム機は与えませんっ」と言うお母様方も珍しくなかったですが。プレステ2は、息子が中学受験が終わったその日にヨドバシカメラで買いました(買わされました)っけ。プレステ1から2に変わった時の感動は子供は勿論、大人でも相当興奮するものでした。実は当時子どもたちが寝た後に、夫は「三国志」、私は「ドラクエ」をこっそりこのプレステ2でやっていたのでした・・・。そしてゲーム機でありながら、このデザインの素晴らしさ。更に初代プレステからプレステ2になった時は、全く予想できなかった新しいデザイン(上の二つを比べてください)に「おお〜っ!」と思いましたよ、大人でも。


・・・ということは、

たった8年前には、私はSONY製品に囲まれて生活していた!!!

のです。振り返るのに何故2004年で区切ったかというと、海外赴任ということになり、ずっと日本にいたらする必要がなかった荷物の整理をしなくてはならなくなった節目だったからです。船便で持っていくもの、トランクルームに置いていくものを仕分けるのですが、勿論、船便、トランクルーム共、容量に制限がありますから、家財道具全てにわたって一つ一つ「要る/要らん」をしなくてはならないのでした。家電に関しては、ドイツは電圧が違うので、変圧器を使わなければ日本のものは使用できないので、持って行くものは限られました。そして上に挙げた我が家のSONY製品の命運はどうなったか、と言えば、

ドイツに持っていったもの
 VAIO、CD/MDウォークマン、お風呂用CDプレイヤー、プレステ2

これを機に廃棄したもの
 テレビ1と2、マイファーストソニーのラジカセ、

ランクルームに入れたもの
 テレビ3、NetMDコンポ、Qbric、プレステ1(廃棄は息子に強く拒まれた!)、


・・・そして時は流れ、今我が家に残存しているものは、NetMDコンポただ一つだけ!つまりこれがマイラストソニーになるのかもしれません。
一方、今我が家にあるApple製品は、京都に下宿している息子のものも含めると、


Macbookが4台(私、娘、息子、先代の私用)
iPhone4Sが4台(iPhone3GSも4台)
iPadが1台
AirMac ExtremeとExpress
iPod touchが3台(息子1台、娘2台)
iPodが4台(ドイツ時代に家族それぞれが買い、今はそれぞれどこかの引き出しの隅に眠っていると思われ)
(加えてAppleTV買うのも時間の問題かも)



これだけで、我が家はAppleの「利益94%増」とSONYの「4期連続赤字&過去最高赤字」に堂々の貢献をしている気がしてきました。

どうしてこうなったのでしょうか?



昨日、というか今日の深夜0:00からのNHK Web 24 が、たまたま冒頭のAppleの大幅増益のニュースと津田大介氏のコメンテーター役、という組み合わせでした。氏の言によると、

Appleの良いところであり他の企業と違うところは、「ブレないところ」。
企業文化として、技術者よりも、プロダクトのデザインやUIをデザインする「デザイナー」が一番エラいところが、日本企業とは違うところ。

とのことでした、これに尽きるかもしれません。

この番組のホームページには放送終了後の「放送後記」の動画が3分ほどあるのですが(多分一週間で消されるようですが)、そこで津田氏と話している番組キャスターの橋本奈穂子アナウンサーに同感してしまう部分がありました。

iPodを友達に勧められて買って持っているが)日本の企業も含め、もっと選択肢があればいいのに、と思った。
(日本の企業は)技術力があるだけに勿体ない。

NHKのアナウンサーですから、ご自分はiPodを持っているのに「敢えて商品名は出しませんが」と『iPod』という単語は出てこないのですが、それでも橋本アナウンサーから滲み出ている思いはわかります。ここまで振り返ってきて私も同じ思いですから。

Apple製品のようにユーザーを夢中にさせるような製品、それをこの10年間日本企業が作らなかった/作れなかった。それを「(日本企業は)技術があるだけに勿体ない」(橋本アナウンサーの言葉」)と思ってしまうのです。


今はApple製品にまみれて暮らしている私です。美しくて使い心地が良いものを使うことはそれだけで嬉しいのですけど、嘗て私や私の家族を心地よくしてくれ、どきどきする使用感を与えてくれたのは、確かに多くのSONY製品だったことを思う時、複雑な思いがすることも事実です。

私はSONYに復活してほしいとは思いません、平井氏が鋼鉄の胃袋を持っていたとしても、技術やUIとは無縁の過去二代の社長による「MBA的経営」で10年間ズタズタにされた会社を立て直すことは不可能だと思うからです。
寧ろ、私を、日本人を、世界中の人を、美しさと技術力で酔わせてくれるような製品を産み出す新たな会社が日本から生まれるのを願ってやみません。
その時には、Apple製品群たちとはお別れして、その新しいアイディアや美しさや技術力が結晶した未知の製品(Japan made)に囲まれて(余生を)暮らしたいものだと思いつつ、Macを閉じる今日このごろ。