単なる「うちわ」の問題ではない、蓮舫氏と松島みどり法務大臣の国会質疑応答

10月7日に行われた参議院予算委員会での質疑応答。


このYoutubeの動画のコメントを見ても、「くだらない」「貴重な時間と経費を掛けて行う議題では無い」「どうでもいい」というコメントが殆どなのですが、それは事の本質を理解していない上でのコメントではないか、と思います。

一般の方は蓮舫議員と松島法務大臣のやりとりの意味をよくわかっていないのではないか、と思われるので、市井のオバサンである私が簡単に解説してみます。

「何故、市井のオバサンごときが解説できるのか?」ということですが、それは2009年夏の総選挙時に選挙事務所でボランティアをして、生まれて初めて知ったことが、まさに今回の「うちわ問題」だからです。
その知識がなければ、あの「うちわを巡るやり取り」の意味もわからず、すぐ挙げられていた「蓮舫議員もうちわを配っていた、ブーメランw」というネットの報道を見て、「何だ、そんなことか。」「くだらない」で、私も済ましていたと思います。

さて、問題の「うちわ」ですが、蓮舫氏が過去の選挙期間中に配ったというのがこちら ↓

しかし、この蓮舫氏のうちわと、

松島氏のうちわは、全く違うものである、ということを説明します。


思えば、四半世紀前。
今度上場することになったリクルートの江副会長(当時)が、未公開株を政治家に配っていたことが発覚し、戦後最大の贈収賄事件となりました。
この事件の後、「金権政治打破」「政治改革」「クリーンな選挙」という流れになり、小選挙区制、政党助成金制度、閣僚の資産公開という制度が誕生したのと同時に、公職選挙法も改正されました。
まあ、平たく言うと、「お金をかければかけるほど当選しやすくなる当時の現状を変え、制限をつけて公平な選挙にする」ということなんでしょう。
最近の選挙で候補者が訴えるのは、「景気」や「年金」や「少子化」ですが、「金権政治打破」がテーマだった当時は、「クリーンである」という、政治家として当たり前ではあることが立派な政策の一つであったのです。
っていうか、それでやっと「欧米並み」になったというか、それ以前の選挙の状況は、今のアジアやアフリカの国々の選挙の状態を笑えないくらいのものでした。
政治家が、フェアに選挙を戦って議員になる、というのは当然のことです。
(私は、そもそも「世襲議員」はフェアではないと思いますが、それはここではおいておいて)


で、問題の「うちわ」のみに絞っていうと、蓮舫氏の「うちわ」は、選挙期間中に配られたものです。
その証拠に、「証紙」というものが貼ってあります。

この「証紙」は、選挙期間中に候補者が配布する「ビラ」の枚数を制限するために、各選挙管理委員会が立候補を届け出た候補者に決められた枚数を配布します。
公示日には、どこの選挙事務所でも猫の手まで総動員してこの証紙を「ビラ」に貼付けます。
この証紙貼りの作業は公示日のただでさえ忙しい中、大変面倒くさく人手を要するものですが、こうやって枚数を制限することで、候補者がフェアに戦えるようにしているわけですね。
選挙期間中、候補者は、この「証紙」を貼った「ビラ」のみを配布することができます。
この「ビラ」には厚さの規程はないため「うちわ」型の「ビラ」を配布することは可能です。
「うちわ」型であっても、紙の「ビラ」と同じと見なされているのです。
つまり、蓮舫氏の写真の「うちわ」型の「ビラ」は完全に合法です。



一方、松島大臣の、「討議資料」という「うちわのように見えるかもしれないもの」(松島大臣による)は、どうか?

実は、私もボランティアするまで知らなかったのですが、選挙期間中でない場合、本来は「ビラ」頒布は禁止!なのです。しかし、

政治活動のためにする演説会、講演会、研修会等の 集会の会場において、 演説会等の開催中に使用さ れる文書・図画
「知っておきたい選挙のはなし」東京都・区市町村選挙管理委員会


は例外的に認められています。なので、「討議資料」とか「後援会資料」と「ビラ」のどこかに入れておくと法律的にはOKのようです。
つまり、逆に言うと、「討議資料」と「ビラ」に入れておけば、何かの折に集まった選挙区の有権者に配ることは可能、という、公選法を改正した趣旨は骨抜きになっているようにも見えますが、実際「ビラ」なり「文書」なりなくしては政治活動できませんので、認められているようです。
だから、どの政治家も選挙期間外、自分の活動やら政策やらを文書にしたこの手の「討議資料」=「ビラ」は配っています。
大きな会合だけでなく、ミニ集会とか、地域の支持者を集めての会とかで。
参議院予算委員会の場にいた国会議員全員が、「討議資料」という「ビラ」は、こういう形で選挙期間外に配っていると思います。

松島大臣のケースは、それとは違います。

選挙期間外に、「ビラ」とは言えない有価物(うちわ1本の値段は、紙とは大きく異なります)に、「経済産業副大臣 衆議院議員」と印刷して、演説会ではなく不特定多数の有権者が集まる場である「盆踊り」の会場で配ったわけです。
これは、蓮舫氏が指摘しているように、公職選挙法の199条の3に違反しています。

第199条の3 公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。)がその役職員又は構成員である会社その他の法人又は団体は、当該選挙区(選挙区がないときは選挙の行われる区域)内にある者に対し、いかなる名義をもつてするを問わず、これらの者の氏名を表示し又はこれらの者の氏名が類推されるような方法で寄附をしてはならない。ただし、政党その他の政治団体又はその支部に対し寄附をする場合は、この限りでない。





(踊る人々の背中に、松島氏が配布した「経済産業副大臣 衆議院議員 松島みどり」と書かれたうちわが・・・)

蓮舫氏の「うちわ」のように、選挙期間中に配られる「うちわ」型の「ビラ」は、大きさの制限があることもありますが、出来るだけ安く済ませるために、持ち手がない円形のもの、せいぜい穴が空いているものです。

しかし、今回の松島大臣の持ち手もついた立派な「うちわ」は、円形のものに比べてお金もかかっています、何より、盆踊りの会場で「紙」(こちらの方がはるかに安い)に印刷された「討議資料」を配るのではなく、盆踊りにマッチした持ち手がついた「うちわ」(選挙期間中に配られる安い円形のものでなく)を配った、というのは、その効果も考えて企画された立派な「寄付」と言えるでしょう。

寧ろ、「うちわに見えるかもしれないもの」に「討議資料」とわざわざ書いてあるということは(普通、うちわにそんなこと書きません)、「討議資料」と書いてあれば言い逃れができると(実際はできませんが)と考えていたと考えられることから、悪質だと言えます。

つまり、松島大臣及び彼女の事務所が行ったことは、

「本当はアウトなのがわかっていて、敢えて『うちわ』という盆踊りで歓迎される『有価物』に、本人の似顔絵と肩書きを一面に大きく入れて配った、裏面に『討議資料』というアリバイにならないアリバイを配して。」


ということなのです。
だから、松島大臣は予算委員会で、「『討議資料』である」「有価物ではない」と、苦しく言い張ったのです。
もっとも、前掲の動画の10:30あたりで、松島大臣は「このうちわは〜」とついぽろりと言ってしまっていますが・・・。


しかも、松島大臣は、落選を交えながらも当選4回の代議士です、昨日今日、選挙をやったばかりの新人とは違うのです。
選挙期間中には、前述のように証紙を貼った「うちわ」型「ビラ」が合法であることも勿論熟知していて、それとの混同さえ計算していたのかもしれません。
だって、私のようなたった1回選挙のボランティアをやった人間でも知っていることを、秘書をはじめ事務所の人間が知らないはずないですから。

予算委員会の場に出席していた閣僚全員、そして議員全員も、「選挙期間外に、『うちわ』に自分の名前と役職を書いて配ったらアウトだろう」ということは、完全に了解していると思います。
高市総務大臣や安部総理の歯切れが悪いのは、当然内閣の一員である松島大臣を庇っているのだろうと思いますが、その他の議員で歯切れが悪い人は、その人もこれに類することをやっているから、としか思えませんね。


当選4回の代議士、しかも当時は経済産業副大臣、今は法務大臣である松島みどり氏が、当選1回の議員でも了解していることを知らばっくれて、「うちわに見えるかもしれないけれど、うちわではなく討議資料だ。」と言っているのは、大変見苦しい、嘆かわしいことです。
リクルート事件を機に、日本の選挙がまがいなりにもやっとルールに則って行われてきた流れをぶち壊すものです、しかも現職の法務大臣が。

しかし、それよりも危惧するのは、事の本質を理解せず、表面だけ見て、「『うちわ』みたいな下らないことばかり質問するな!」とか、「蓮舫だって、うちわ配ってた!」とかの思考停止する方がいる一方、「松島法務大臣が配った『うちわ』にヤフオクで高値がついているから、『有価物』だ!」というレベルに貶めている方の発言をネットで見かけることです。
新聞では、更にもう話題にもなっていません、これほど重要なことなのに。


民主党政権時代の政治家としての蓮舫氏、について、私は全く賛同するものではありません、正直言えば、好きじゃないタイプの方です。
でも、今回の件については、蓮舫氏の主張は正論ですし、有権者はこれを見過ごしてはならないのではないか、と思うのです。

世の中が加速度的に複雑になり、判断をしなければならない問題も同じく加速度的に増えた結果、本当に大事な問題もネットの上を流れていく娯楽のように扱われ、話題性がなくなれば忘れられていくこと、また、「悪役」と「ヒーロー」が完全に色分けされ、一度「悪役」のイメージを冠されてしまうと正論を言っても世間がそれを受け付けなくなっていること、を危惧するものです。

 今の時代、女子校に娘を入れる意味とは?


女子校出身者が娘を女子校に入れたがるワケのうちの一つかなあ。


コメント欄を見ると、個人の経験に基づくご意見がだーっと並んでいたので、怖じ気づいて自分のブログにエントリーを書くことにしました、反対意見ですし。

個人的経験を排して、書いてみたいと思います。

学校選びは、男子校・女子校・共学校といった選択だけでなく、校風などその他の要素も総合して、本人と親御さんが選ぶべきであり(最終決定は勿論本人ですよね、親の好みではなく)、多様な選択はあって然るべきだとは思います。

しかし。

「女子校のメリット」とは本当か?

ブログ主であるwhite cakeさまが書いている、女子校を勧める方に良く見られる根拠、

私の思う女子校のメリットの第一は、自立心が養われやすいところです。女子生徒しかいないので当たり前ですが、力仕事を含めたすべての作業は、女同士でなんとかするしかありません。その結果私たちは、男性に頼らなくてはならない作業というのは、世の中ほとんどないのだということに気付きました。高いところのものは脚立に登ればとれますし、重い荷物は友人と協力して運べばいいわけで、金槌やのこぎりを扱うのにY染色体は要りません。
大抵のことは自分でなんとかできる、という感覚を持つのはいいものです。自分は女だからあれができない、これもできないと思うより、ずっとずっといいことだと思っています。


ということなんですが。
教育的見地から言って、女子だけの中で自立心が養われることに、この時代、意味があるんでしょうか?
同じような根拠として、「女子だけの学校だと、クラス委員も女子、生徒会長も女子、部活の部長も女子だから、自立心が養われる」というものがありますが、同じく、女子の世界だけで、政治的ポジション、リーダー的ポジションを経験することに、意味はあるんでしょうか?
white_ cakeさまは、中学で共学の経験もあるとのことですが、男子もいる社会において政治的ポジションやリーダー的ポジションを獲得し、実際に仕事をこなすことこそ、大事なのでは?
男子もいる中で生徒会長をやってこそ、演劇部の部長をやってこそ、自立心なりリーダーシップが養われるのではないでしょうか?
実社会は女子だけではありません。
男性の上司、同僚、部下がいる中で、自分のポジションを獲得していかなくてはなりません。
それなのに、貴重な学校生活を、実社会とは乖離した性別の構成を持つ集団で過ごして良いものなのでしょうか?
逆に、女子校でリーダーシップをとれていた人は、男女混じった集団に大学や会社で入った時に、女子校と同じことをやっていてもリーダーにはなれないことに気がついて、愕然とするかもしれませんね。


男子にとってもそうです。
「女性が輝く社会」とやらでは、女性の上司、同僚、部下と共に働かなくてはなりません。
男子だけの内輪のサークルのノリだけでは、今まではともかく、これからはやっていけるはずはありません。
男子校のメリットとしてしばしば挙げられる、「男子だけの方が勉強ができる」というのもありますが、これも噴飯もので、中高一貫男子校→大学は女子の少ない学部学科を経て入社した会社で、前後左右のデスクが女性ばかりで、上司が女性だと、男子校出身者の彼はどうするのでしょう?「ボク、気が散ってお仕事できません!」とでも?

異性の容姿を値踏みすることに関して

また、white cakeさまは、

中学に入ってから男子生徒たちはやたらと寄り集まってひそひそ話に興じ、女子生徒を見てにやにや笑いながら、あの子はかわいい、シロイはブスでクズでなんで生きてんの、みたいなことを聞こえよがしに口にするようになったわけです。


とおっしゃっていますが、同じことを女子は男子にしていませんか?
女子がキャーキャー言うのは、「イケメン」で「爽やかなスポーツマン」でしょう?
内面はとっても面白い男子であっても外見がキモければ、「キモメン」「オタク」と聞こえよがしに口にしはしませんか?
更に男子は外見だけではなく、運動神経まで、女子から値踏みされますからね。

確かに、中学生の年頃は男子も女子も未開の野蛮人で、異性のどこを見るべきか、正しく理解していませんし、見る目も持っていません。
けれども、高校生くらいになると、共学校では学校生活の色々な場面で、異性を見る目が養われるのではないでしょうか。
「容姿はイマイチだけど、彼/彼女は人間的に信頼できる」、とか、逆に、「容姿は可愛いけれど/カッコいいけれど、性格は最悪!」、みたいな、他人を見る目を養うのは、共学校でこそ学べることではないかと思います。


更に。
white_cakeさまは、中学生の時、ある男子に、

「シロイってなんで笑ってられんの? そこまでブスなんだから何をどう頑張ったって幸せにはなれないのにさ。まさか自分でも結婚できるとか思ってないよね?」

と言われて、「ずっしりときました」「きつかった」とおっしゃっています。
ローティーンの年頃だと、ショックな経験であったと思います。
でも大人になった今なら、その男子の発言を分析できるのではないでしょうか。
「学年で一番勉強ができました。体は丈夫で、家族仲も良好、気の合う友人もいました」というwhite_cakeさまに対して、その発言をした彼はその部分(「ブス」「結婚できない」という部分)しか突っ込めなかったのです。
逆に言うと、white_cakeさまが一番ダメージを受ける箇所を攻撃したわけです。
これは、大人になってからも同様で、高学歴で仕事ができる女性に対して、一番ダメージを与えるであろう言葉は、嘗て中学生だったwhite_cakeさまに男子が言った台詞と同じもの、即ち「ブスのくせに。結婚できると思ってるの?」です。
大人の場合、そこでどんなにショックを受けようと、会社辞めて、「女子だけの会社」に転職するわけにもいきませんし、仮に「女子だけの会社」に転職したとして、取引先までもが「全員、容姿に一義的価値を置いていない女子だけ」ということはありえませんよね。
じゃ、この「異性が、容姿を値踏みし攻撃してくる」事象から逃げずにどう対処するか?
これを中学生のwhite_cakeさまになりかわって、考えてみると、

1.その男子の一番の弱みを突く逆襲に出る →「あんたこそ、よく笑っていられるよね?そこまで頭悪いんだからどう頑張ったっていい高校に行けるはずないのにさ。まさか○○高校(彼の志望校)に行けるとか思ってないよね?」
2.無視する、それも受け身の無視ではなく、攻撃的無視をする。但し、それをやりきるだけの強さが必要
3.その男子を懐柔する。あんな酷いことを言った許せないヤツだけれども、何とか共通点を探して(漫画の趣味とか、好きなバンドとか)、会話できるくらいのレベルを保っておく、たまには宿題写させてあげたりして貸しを作っておく。勿論、借りはしっかり返してもらう。許せないヤツだけれど、どこかの場面で利用するためにコミュニケーションは断ち切らない。コミュニケーションをとっている間に、今まで知らなかった相手の一面を知る機会があるかも・・・?

上記の三つの対処法のうち、国同士に置き換えると、最初のは「相手の攻撃に直ちに応戦した戦争状態」、二番目は「国交断絶」、三番目は「妥協と打算の和平工作」でしょうかね。
中学生男子というのはその時点で救いようがないヤツもいますから、相手次第で「戦争」も「国交断絶」もアリだと思いますが、それをやるためには、こちらに「強さ」が必要です。
「懐柔和平工作」が通用しそうな相手ならば、これが一番です。そんなこと、あの許せない男子とやってられない?でも、実社会で、女性が仕事をしていくためには、これは必要不可欠なスキルです。女性としての自分が、「高学歴」「仕事ができる」ことが原因で、男性社員に攻撃された時、どう捌いていくか、は大事なことです。つまらない相手ならば、「戦争」か「国交断絶」でよいかもしれませんが、仕事上相手を懐柔しないとどうしようもない時に、どうしたらいいのか?男性社員が部下ならば一杯飲みに誘うとか、同僚なら仕事を肩代わりしてあげるとか、上司ならおべんちゃらの一つも二つも言うとか、それくらいこなさないといけません。
それらの処世術を学べるのは、共学校の大きなメリットです、少なくとも、女子校で、不毛な「女子カースト」を学ぶよりは有益ではないでしょうか。

white_cakeさまが挙げている問題は、男子校&女子校/共学校、という違いの問題か?

そして、「容姿で過剰に評価される」というのは、男子校・女子校か共学校の違いに帰されるものなのでしょうか?
それは、別学か共学か、という問題ではなく、大きく言うと「校風」の問題だと思います。
教師や保護者、OB・OGを含めた、学校全体が持っている雰囲気ではないかと思います。
それは単純なものではありません。
「容姿ではなく、成績のように真面目にやった者が報われることで評価されるような学校を目指す」とばかり、学校が「成績が良いことだけが正義」とすれば、その反動で生徒の中では、「学校とは違った尺度即ち容姿が良いことが正義」となるかもしれません。
綺麗事のお題目のようになりますが、結局は「多様な在り方が許される校風」「生徒同士が、お互いに認め合える校風」ということになるでしょうか。
そういった校風を実現させるのは、新しい校舎を建てたり、有名大学合格者を二倍に増やすより、よほど難しいでしょうね。
今、小学校から大学まで、教育のあちこちが「教育改革」の名の下にいじられていますが、子どもが本当に求めているのは、私立の男子校や女子校に逃げ込まなくても、生きていき易い学校の環境、居場所がある学校の環境、自分に誇りが持てる学校の環境、それが公立の共学校で与えられること、なんじゃないでしょうか、イジメの問題も含めて。


幼女アニメファンやら腐女子やら

それと、統計的数字はあるはずもありませんが、この時代、男子校におけるアニメ(特に幼女)ファン、女子校における腐女子の割合が、どれくらいに上るものなのか(特に偏差値上位校で)、私は危惧します。
勿論、共学校にも幼女アニメファン、腐女子は存在しますが、彼ら/彼女らのリアルな生活には、生身の異性も現実の存在としているわけです。
逆に、異性の存在がリアルな学校生活の中にない場合、ネットの存在も相俟って過剰に供給される趣味の情報は、どれくらいの影響を及ぼすのか、オバサンは心配してしまいます。

さいごに

青春の時期を、気楽な男子校、穏やかな女子校で過ごしたい、という選択も、勿論あるでしょう。
一方、二度と来ない青春の時期、楽しいだけではなく辛いこともあるかもしれない、辛いことだけでなく楽しいこともあるかもしれない共学校で過ごすことは、人生においてかけがえのない経験であると思います。
どちらにしても、選択するのは「本人」です。
親が、自分の経験とか、娘の容姿とかで、決めてよいものではありません。
親に出来ることは、時代を見据えて多様な選択肢を示すこと、子どもが選んだ道を応援し励ますこと、そして万が一選んだ道が合わなかった時にいつでも進路変更できると教えてあげること、でしょうか。




「女子校」の世界というと、どうしてもこの方のこの著作を紹介せずにいられません。
最近文庫が出ているようなので、文庫で。

Kindle版も出ているんですね。

 公開された「吉田調書」を読んで  朝日新聞の誤報と、安部首相のメルマガの誤報

「吉田調書」こと、政府事故調査委員会ヒアリング記録が内閣官房により公開されました。


政府事故調査委員会ヒアリング記録


で、新たに公開された「吉田調書」が報道されている翌朝の朝日新聞日経新聞を読みました。
朝日新聞には、おまけで木村伊量社長の名前で、「みなさまに深くおわびします」という、「吉田調書」を元にして報道された5月20日付けの記事に関する謝罪記事が付いていました。

さて、その「吉田調書」です。
東京電力福島原子力発電所の吉田昌邦所長(当時)に行われたインタビュー部分だけでも膨大な量で、更に殆どの部分が事故対応のテクニカルな部分に関する質疑応答なので、技術にはド素人の人間が理解できる部分のみを流し読みするにしてもかなり時間がかかりました。
それは、吉田所長が東京電力に入社して以来の経歴から始まり、事故の時系列に沿ったもの、個別の技術的問題、事故前の地震津波対策などについて、質問者(複数)に答える形で、述べられています。
吉田所長本人の了解の下、ICレコーダーに録音されたものが文字起こしされているので、吉田所長が語った内容のみならず、感情までもを伺い知ることができるインタビューです。


この「吉田調書」と、朝日新聞のスクープ記事と言われていた記事を読み比べてみると、まさに驚愕します。

吉田調書ー特集・連載:朝日新聞デジタル

これは誤報」というよりは、それこそ「世論誘導」、否、それ以上の「捏造」に近いものです。
ダウンロード可能になった吉田調書の該当部分を読んで、どうひねくり回したらあのような記事になるのか、驚きを通り越して、恐怖を感じます。
他の部分では感情的になったり当時の関係者に対する怒りを隠さない吉田所長ですが、この部分は、文字起こしされた文面から読み取れる限りにおいて、極めて普通に、極めて冷静に語っている部分です。
1号機と3号機が水素爆発、2号機には注水できずメルトダウン目前。更なる爆発も起こり(後に4号機建屋だと判明)、2号機がメルトダウンすれば、当然1号機と3号機に対する注水も不可能になり、同様にメルトダウン。そのまま暴走する3つの原子炉に加えて、4号機の使用済み核燃料までもが再臨界を起こし・・・という、吉田所長でなくとも、あの時固唾を飲んでテレビやネットに張り付いていた日本人にとって「二度と思い出したくない」最悪の状況に陥るかもしれない可能性一歩手前で、最低限の人員を残し、他の所員(全員顔全面にマスクを付けた状態)をバスに乗せ退避してもらうことは極めて当然であり、吉田所長は、

みんな全員マスクしているわけです。それで何時間も退避していたら、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して。

と、危機的状況を振り返りつつも、所員の状態を冷静に推測し理解しているのに、何故それが、朝日新聞の手にかかると(以下、黄色イタリック部分は朝日の記事からの引用)、


免震重要棟の前に用意されていたバスに乗り込んだ650人は、吉田の命令に反して、福島第一原発近辺の放射線量の低いところではなく、10km南の福島第二原発を目指していた。その中にはGMクラス、すなわち部課長級の幹部社員の一部も入っていた。一部とはいえ、GMまでもが福島第二原発に行ってしまったことには吉田も驚いた。


となるのですね。いえいえ吉田所長、調書のこの部分では全く驚いていませんから。
結局、以下の部分へと繋げるためだけの、アクロバティックな編集、否、捏造を、朝日新聞は行ったのです。


福島第二原発への所員の大量離脱について、東電はこれまで、事故対応に必要な人間は残し事故対応を継続することは大前提だったと、計画通りの行動だったと受け取られる説明をしてきた。
 外国メディアは残った数十人を「フクシマ・フィフティー」、すなわち福島第一原発に最後まで残った50人の英雄たち、と褒めたたえた。
 しかし、吉田自身も含め69人が福島第一原発にとどまったのは、所員らが所長の命令に反して福島第二原発に行ってしまった結果に過ぎない。


朝日新聞の「経緯報告」によると、

「命令違反し撤退となぜ誤ったのか? 所員に「命令」が伝わっていたか確認不足 少人数で取材、チェック働かず」

とのことですが、この言い訳はないですよね。
この「捏造」レベルの編集上の捩じ曲げは、「確認不足」とか「チェック働かず」ではなくて、何が問題かと言うと、最初から東京電力を叩くという結論ありき、であったとしか思えません。

吉田所長の発言をフツーに読むと、福島原発事故最大の危機的状況の中で、退避する先などどこでも良く、目的は「退避させること」であったことは明らかです。1F(福島第一原発)内の線量が低い場所でバスを止めて全員全面マスクで何時間も死にそうな状態で待機する退避よりも、吉田所長にとっては想定外ではあったかもしれない2Fであっても、どちらでも構わなかった、寧ろバスが2Fに向かったことは結果的には良かった(と本人も言っている)、という、ただそれだけのことなのに。
最初にこの記事を書いた記者の名前は公表されて然るべきでしょう。「朝日新聞」という権威を嵩にきて、中学生でも読みとれるレベルでシンプルな吉田所長の発言を捩じ曲げて、自らが世論を誘導しようとしたその行為は、ジャーナリストとして許されることではないですからね。


木村伊量朝日新聞社長は、「改革と再生に向けた道筋をつけた上で進退を決める」とのことですが、「改革と再生に向けた道筋」をつけるのは、いとも簡単です。この特集の最後には、

取材:宮崎知己、木村英昭 制作:佐久間盛大、上村伸也、白井政行、木村円

というクレジットが入っていますが、今後は個々の記事にそれぞれ記者が署名することに決めれば、すぐに朝日新聞は「改革と再生」できるはずです。
朝日新聞」というブランドの下に書くとしても個人の署名が入った記事で、ここまでの捩じ曲げができるはずがない、という単純なことです。
大体「朝日新聞のみの大スクープ」とうぬぼれていたことが、傲慢な捏造に繋がったのであり、他の報道機関も「吉田調書」を入手する可能性について考えが及ばないほどの脳天気さには呆れてしまいます、「取材源の秘匿のため」って、朝日にリークしたのと同じ取材源、もしくは類似の取材源が他社にもリークする可能性もあるわけではないですか?
今回の「誤報」を、「確認不足」「チェック働かず」のレベルで捉えて、「改革と再生」など行っても意味がない、というか、原因はもっと根深いものではないかと思います。
それに対する、一つの答を読みました。

朝日新聞の「記事で世界を変える」という病・・・椎名健次郎:アゴラ

クレジットに名前がある記者の方々は勿論、朝日新聞という名前の下に記事を書いている記者全員に、是非一読して頂きたいものです。
しかし、木村社長は、前述の「みなさまに深くおわびします」という記事においても、

吉田調書は、朝日新聞が独自取材に基づいて報道することがなければ、その内容が世に知らされることがなかったかもしれません。世に問うことの意義を大きく感じていたものであるだけに。誤った内容の報道となったことは痛恨の極みでございます。


と、この期に及んでもまだ、「朝日新聞が世界を変える」という思い込みがあるようです。
前述の椎名氏の記事の最後の一文、これこそが朝日新聞に今求められていることではないかと思います。

朝日新聞記者は「記事で世界を変える」前に、まずは自分たちを変えるべきだったのだろう。

朝日新聞の記者ひとりひとりが、自らを変えない限り、読者は日本で最大の新聞社がいとも呆気なく潰れていく様をこれから見ることになるかもしれません、何十年と購読してきた読者の一人としてそう思います。






さて、今まで未公開だったこの「吉田調書」、そして原発事故当時の政府関係者等から聴取された他の「調書」ですが、これを読んで、簡単に了解されるもう一つの「誤報があります。
大手メディアではなく、個人のメルマガですが。

菅総理の海水注入指示はでっち上げ』
最終変更日時 2011年5月20日

福島第一原発問題で菅首相の唯一の英断と言われている「3月12日の海水注入の指示。」が、実は全くのでっち上げである事が明らかになりました。

複数の関係者の証言によると、事実は次の通りです。

12日19時04分に海水注入を開始。
同時に官邸に報告したところ、菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒。
官邸から東電への電話で、19時25分海水注入を中断。
実務者、識者の説得で20時20分注入再会。

実際は、東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。
しかし、 やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。

この事実を糊塗する為最初の注入を『試験注入』として、止めてしまった事をごまかし、そしてなんと海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいたのです。

これが真実です。

菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです。
『菅総理の海水注入指示はでっち上げ』 衆議院議員 安倍晋三 公式サイト


「吉田調書」には、1号機の海水注入に至った経緯が、吉田所長自らの口で語られています。
それをまとめると、こういうことのようです。


1号機の注水は、淡水の手当が付かず、海水しか選択肢がなかったので、吉田所長は最初から海水しか考えていなかった。
3月12日19時04分より海水の注入を始めていたところ、官邸の東電武黒フェローより電話があり、「官邸が了承していないから中断せよ」「四の五の言わずに止めろ。」と指示される。
吉田所長は中断する気はさらさらなかったが、現場と本店を結んだテレビ会議の場面に向かっては「海水注入中断」と言い(故にそれを聞ける範囲にいた人は、「中断」したと思い込んでいる)、一方、部下を会議室の外に呼んで「絶対に中断するな」と指示している。
既に19時04分から行っていた実際の注入は「試験注入」という位置づけにすることを、本店と相談して決める。



剛毅な印象の吉田所長ですが、そんな彼ですら、お役所的と言われる東電の体質そのままに、実際は本格的注入であるのにそれを「試験注入」という言葉で糊塗している点から、東電の体質というものが推し量られますが・・・。
そして、結局のところ、この「吉田調書」と、安部氏のメルマガでの主張にあたる部分を照らし合わせると、安部氏の主張は「勘違い」と「早とちり」による「誤報に他なりません、「海水注入」は「菅首相の英断」ではない、ということだけは確かな真実ですが。


・「海水注入」を中断するように、菅首相自身が指示したのではなく、海水を入れることの是非に関して、班目委員長を問いつめる菅首相を見て、お上の顔色を伺うに長けた東電の武黒フェローが勝手に気を回して「中断」するように連絡してきた、というのが実情。
・実際、菅首相は、当時まだ海水注入が始まっていないと思っていた、つまり始まってもいないものを「中断」はできない。
・「東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入」と安部氏は書いていますが、実際は、「先ず、ごく普通の操作であれば、要するにマニュアルだとか、それに従って実施しなさいということになりますけれども、海水を注入するなんていうのは、本邦初公開でございますので」「このゾーンになってくると、マニュアルもありませんから、極端なこと、私の勘といったらおかしいんですけれども、判断でやる話だというふうに考えておりました」(「吉田調書」8/9聴取)ということであり、マニュアルを越えた段階であった。
・しかも、実際は「海水注入」は中断されていなかった。


菅首相について色々言いたいことはありますが、他のことはこの際置いておいおくとして、この点に限って言うと、、安部首相(当時は存在感ゼロで「終わった人」だった)はとんでもない誤報をメルマガで出した、ということになります。


この「水」の問題は、安部首相が言うような、「『海水注入』が正義で英断」、というわけでは全くないようです。

要するに、もともと1号機はお水がどこにもないんで海水でやりました。3号機はかなり真水があったんで、真水から始めましたが、結局、水の量が足りなくて海水に切り替えたというのが3号機。2号機も本当は真水でやりたくて手配したんですが、今日の昼の段階で、場合によっては急遽始める必要があるということを考えて、海水での供給で考えた。そのときに、3号機大丈夫かとか、3号機が危なくなってきたんで、2号機よりも3号機にウェイトを置いて見てきているというのが今の状況で、その間に、2号機用の真水の用意はしていませんでしたから、その後は海水でやるということで進めている、こういうことです。

以上は、2011年8月9日のインタビューにおいて公開されている、3月12日昼間の本店との会議における吉田所長の発言の録音部分です。

1号機の原子炉に「海水」を注入するという、「本邦初公開」(本人談)の人類史上嘗て為されたことがない行為を決断した吉田所長ですが、3号機2号機の場合は、淡水を先ず考えます。またホウ酸を入れることにもこだわります。ホウ酸を入れると、原子炉が安定し、再臨界の危険を減らせるから、だそうです。
物事は、事実は、安部氏が断ずるような単純なものではないのです。
この「再臨界」のリスクこそ、1号機の海水注入の時に、菅首相に問いつめられて、原子力の権威である班目氏が「絶対にない」と断言できなかったことであり、吉田所長、菅首相、班目委員長も、再臨界に対する危惧があった、という点では同じなのです。
文系の安部首相なら、もし3.11当時政権の座にあったら、どういう決断をしたのでしょうか。
上記の誤報のメルマガを安部首相が書いたのは、2007年に首相を辞任してから4年後ですが、この記事が誤報というだけではなく、首相経験者としてはあるまじき、物事を浅く軽く理解する様子と、思い込みの激しさが見てとれます。

安部首相は、「吉田調書」が公開された日に、ニッポン放送のラジオ番組に出演し、朝日新聞の一連の従軍慰安婦報道についてこう語ったそうです。

一般論として申し上げれば、報道は国内外に大きな影響を与え、時としてわが国の名誉を傷つけることがある。そういうことも十分に認識しながら、責任ある態度で正確で信用性の高い報道が求められているのではないかと思う。


安部首相が前掲のメルマガの記事を書くにあたって拠り所とした情報をどこから入手したのかわかりませんが、事実はその情報とは異なり、「吉田所長は、テレビ会議の席では、『海水注入中断』と言いながら、実は『何があっても注入は止めるな』と言っていた」のであり、「吉田調書」でそれが明らかになった今、先ずとるべき態度は自ずと見えているのではないか、と思いますが、このままうやむやにされてしまう嫌な世の中、それが安部首相の御世なのでしょう。

 濃くて、勇気ある一冊、ジェーン・スー著「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」を読んで 雑感


この手のエッセイとしては、非常に文章が上手く、濃密な一冊です。
類似の本では、単行本の体裁はしても、内容はスカスカ、「買って損した!」と思うものが殆どであるのに比べて、読後感は満腹・満足できるものです。
上手い文章を読むのがお好きな向きには、扱っているテーマ(=独身アラフォーで自称「未婚のプロ」である女子の主張)はとてもニッチなものではありますが、文章の上手さを味わうためだけで読んでも、十分元が取れるものです。
ちなみに、殆どの文章は彼女のブログでも読むことができるのですが(←営業妨害ではない)、ブログの横書きの文章ではなく、書籍化された縦書きの文章にして読むに相応しい一冊です(←営業促進)。


ざっと思い起こせば、林真理子氏、中野翠氏、岸本葉子氏、酒井順子氏、みうらしおん氏、等々、女性作家で文章巧者のエッセイは多々ありましたし、ジェーン・スー氏もその系譜に連なるのでしょうが、文章の上手さでは、並みいる諸先輩方に一歩も引けを取りません。
上手い文章とは、人によって判断の基準が異なるかもしれませんが、ジェーン・スー氏の文章は、比喩の使い方がそれは巧みで、切れ味のよい比喩、誰も使用したことがないオリジナルの比喩が使われるべき箇所にスパッと決まる様を読むのは、サッカーのシュート、テニスのスマッシュ、バレーボールのスパイクが決まるのに喝采を送るのと同様のカタルシスが得られます、読むだけで。

加えて、比喩の中でも、アレゴリー(寓話)というのか、一つの比喩のイメージで文章を重ねていく技が、読んでいてまさに快感であります。
例えば、この本のタイトルにもなっている「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」の章では、女子であることが、「刺青」の比喩で以て、延々と語られます。ジェーン・スー氏は、

板垣死すとも自由は死せず、加齢すれども女子魂は死せず!

という一文を冒頭直後に持ってきて、「女子」の定義を語るのですが、やがて、

三十路を過ぎた女たちの「自称女子」が感じさせる図々しさ、そして周囲の人間がそれを不意に受け取った時のドキッとする感じや不快感。これって刺青にたとえられると思います。私たちは「女子」という墨を体に入れている。

と、「女子」という自意識を刺青に例えて、誰も考えつかなかったこの比喩で以て、いい歳をした女が何故「女子」と自称するのかを解き明かしていくのです。的確な比喩で語られていく文章を読むのは心地よく、あっという間に、最後のこの部分まで引っ張られてしまいます。

板垣死すとも、タトゥーは消えず!

何とも痛快な「『女子』論」でした。

また、「私はオバサンになったが森高はどうだ」という章では、女性の身体を「庭」に例えています、「庭」ですよ、「庭」!

女はある日突然、自分が育て方の異なる何種類もの花が植わった庭の主であることに気付きます。庭主である私は、自分の庭はもちろん、隣の庭も気になります。若い庭よりも、同世代のあの人の庭が。木村さんとこの庭は、三十代後半のある日突然輝きだした。山口さんとこの庭は、いつも自然な印象なのに乱れがない。君島さんとこの庭は、一年中豪華な花が咲き誇っている。どんな庭師を雇っているのかしら?どんな栄養剤を使っているのかしら?


このアレゴリーには爆笑して、唸りましたよ。「木村さん・山口さん・君島さん」て!!!美魔女のことも、この比喩でスパッと語られます。

男ウケする庭よりも、自分の心が安定する庭にしたい。その結果が、あの美魔女のおどろおどろしい庭なのではないでしょうか。男性の目だけを意識していたら、ああはならない。あれは己との、そして同世代女との戦いなのでしょう。


普通に老化していき、老化を「レリゴー」している女性たちにとって、今まで言語化できなかった、自分とは異質なあの「美魔女」の皆様の佇まいを、「おどろおどろしい庭」という比喩で見事に定義しています。そして、「庭」の比喩で読み手が納得している間に、

「若い子には負けるわ」とは口ばかりの、恐ろしいほど綺麗な庭の主、それが森高です。


と、この章のタイトルに出てくる森高、即ち二十余年前に「私がオバサンになっても」というヒット曲を歌った森高千里(現在45歳)に戻って、彼女について当たり前の事実でありながら何故か言うのが憚られる事実を、ジェーン・スー氏は突きつけます。

異性に手間を悟られないああいう庭が、この世でいちばん凄い庭なのでしょう。もともと綺麗な庭が、美しさを保っているというだけの話ですから、森高の庭と荒れ放題の私の庭には、あまり関係がないと思うのが健全なのでしょうね。


このように、近年稀に見る文章巧者であるジェーン・スー氏の文章を読んで、巧みな比喩を読む快楽に浸りたいという老若男女の皆様、是非ご一読をお勧めします。
比喩に加えて、各章のタイトルがこれまた秀逸です。今までに挙げたもの以外でも、「女子会には二種類あってだな」「男女間に友情は成立するか否か問題が着地しました」「女友達がピットインしてきました」など、彼女ならではのセンスです。章のタイトルが、よく切れているのです。やさしさに包まれたなら、四十路」というタイトルの章は、書き出しが、

小さい頃は、神さまなんていないと思っていました。

で始まるので、爆笑です(ユーミン聞いた世代ならわかりますよね?)。
そして、これは主観ではありますが、この本は読後感が妙に爽快であり、暖かなものなのです。私生活の暴露やあけすけな自虐、一方で何かに対する怒りのぶち負け、というものが昨今の女性作家のエッセイなのですが、ジェーン・スー氏もご多分に漏れず、ご自身の失恋の話や、幼少期からのコンプレックスなどについて書いているわけですが、不思議と読んだ後に、嫌な感じが残らないのです。多くの女性作家のエッセイは、読んでいる時には作者に共感して笑っていても、読み終わった時に、何か見なくてもいいものを見てしまった、共感しなくてもいいことに共感してしまった(うやむやにしておいた方がよかった)、という気になってしまうこともあるのですが、この本にはそれがありませんでした、彼女と私が、全く違った形の人生を歩んでいるにもかかわらず、です。これはひとえに、ジェーン・スー氏の人柄、というか、人柄の深みに在るのでしょう。自分の主張を言いたい放題思う存分言って、それでいて違う立ち場の読者にも、後味が悪くない読後感を与えられるだけの、文章力であり、人柄、なのでしょう。



とは言うものの。

この本が扱っているテーマは、「ファミレスと粉チーズと私」「桃おじさんとウェブマーケティング」「東京生まれ東京育ちが地方出身者から授かる恩恵と浴びる毒」といった、老若男女が何とか読めるもの(←読めないかも!?)以外は、どれも濃淡こそあれ、アラフォー・未婚・女性、というポジションから書かれているので、このうちの一つでも同じ属性がないと、せっかくのジェーン・スー氏の世界を味わうのは難しいかもしれません。



そして、ここからはネタバレになりますが、この本の様々な章を通じて、ジェーン・スー氏が語っていることに関して、一言疑問を呈させていただきたいと思います。


この本の多くの章で横断的に語られているのが、ジェーン・スー氏と「可愛らしさ」の関係の歴史です。
「小さくて、か弱くて、庇護を必要とするもの」=「可愛らしさ」に対する自身のコンプレックスを、ジェーン・スー氏は分析してみせます。
ジェーン・スー氏は、ご自分のことをこう書いています。

幼少期に人より大きく育ち、

幼少期のかわいさ選手権予選落ち

「そこまではかわいくない女児」たち、たとえば私など

もともと少なかった私の小ささ資源やか弱さ資源は、成長に伴い一瞬で枯渇。

 

私は体格が大きかったばかりに、生意気だと男子から腹を蹴られたりグーで肩を殴られたりしていました。


僭越ながら、私がまとめるとこういうことのようです。

同年齢の女児よりも体格が良かったがために、「可愛らしさ」という自己肯定を得られず、それに代わる「人間軸」(勉強だったり、仕事だったり、話の面白さだったり)を鍛え、「可愛らしさ」だけに乗っかって世渡りしている同性の女性、及び、「小さく」「か弱く」「庇護の対象であること」を異性を選ぶ基準にしている男性の両方を、見返すべく人生を驀進してきたところ、四十路を越えて、「可愛らしさ」とか「ピンク」(可愛らしさを示す象徴)と和解するに至った、


しかし、私は疑問を持ちました。
枕草子の時代ならいざしらず、現代において、実際、女の世界で生きる上で「可愛らしさ」はそんなに有利なことなのでしょうか?
否、幼稚園から高校まで、少なくとも中学校卒業くらいまで、体格が良い女子・「可愛らしい」ではなく「カッコいい」女子、というのは、女の世界ではそれだけで有利な通行手形であったと、逆に私は思います。
クラスの女子の中で万年身長が真ん中からちょい小さいあたりのポジション、丸顔童顔少々ぽっちゃりでどうひっくり返っても宝塚の男役にはなれない属性。幼少期から中学校卒業あたりくらいまでそうであった私に言わせると、「体格が良い」「可愛くなくてカッコいい」ことは女性の社会では、少なくとも学校生活の中では、有利そのものであり、寧ろ学校生活の中では少々の「可愛らしさ」よりも、遥かに生きやすい!と言いたいのです。

私の人生経験を振り返ると小学校も中高学年になると、クラスの女子世界を牛耳っているのは、体格が大きな女子が集まったグループでした。一足先に大人の身体に変化した優越感、即ち「あんたたちは、まだ子供で何にも知らないんでしょ。」オーラを出し、教室の後ろの方の席から(背が高いから)、いつも教室内の空気を把握し睥睨しているような彼女たちが、私はとても苦手でした。小学校の高学年では、その体格が大きい女子の方が、男子なんかより遥かに腕力でも勝っていました(ドッジボールをやっても男子よりも強烈なボールを投げるのはこの手の女子)。「私も彼ら(註:男子)の腹を、思いっきり蹴り返していた」ジェーン・スー氏のような女子は、同性からは尊敬と憧れの眼差しで見られていました。彼女たちが「次女」時には「三女」だったりすると、「姉」という資源から潤沢に得た情報を持っていますから、精神年齢という点でも、無敵の存在でした。自分はまだ小学生であるのに、中学や高校の話をよく知っていて、芸能人のうわさ話からお洒落まで数歩先を行く彼女たちは、生まれながらにして、体格と情報という財産を持っていて、私(長子の長女)が努力しても得られないそれら天与の産物を当たり前であるかのように駆使して教室内女子世界を牛耳る彼女たちが、半ば怖く半ば羨ましかったものです。
前述のような「宝塚女役」属性を持ち、ジェーン・スー氏とは逆に母親の趣味で「可愛らしい」格好をさせられていた私が、学校の教室で上手く生きていくために、幼いながら先ず考えたのは、「決して彼女たちを敵に回してはいけない」ということでしたね。小学校の頃の「可愛い」なんて、本人の意思ではなく、親が着せる服、持たせる持ち物、手をかける髪型、なんです、畢竟。母親の趣味で可愛い服を着せられて、頭にはリボンか髪留め、これまた母が刺繍した手作りの鞄とか持たされていれば、本人(=私)の中身(実はラディカル)に関係なく、「可愛い」と認定されてしまい、それは、子供ながらそういう外見と自分の本当の内面は全く違うということに気がついていた私には苦痛でしかなかったのですが、同時に、それでも外見で「可愛い」と認定されてしまうことは、教室内の政治的には、全く何のメリットもないこと、つまり体格の大きな女子グループから良くは思われないということを、私ははっきりと認識していました。
そこで幼いなりに私がとった戦略とは、「話が面白いキャラ」「漫画や探偵小説に詳しいキャラ」(「オタク」という言葉がなかった時代です)であり、それに勉強頑張る成分やら、体格に関係ない「マット運動」やら「縄跳び」で頑張る成分を追加して(陸上競技やら、肉弾戦のバスケで勝てるはずがないから)、「宝塚なら間違いなく女役にしかなれない」外見を裏切るキャラを作り上げ、クラスの体格が良くて大人っぽくてカッコいい女子グループから嫌われるリスクを回避する、というものでした。彼女たちのグループに入る、ということなどは恐れ多くて思いつきませんでしたね、第一「チビ」では入会審査ではねられたでしょう。逆に、体格が良く大人っぽくてカッコいい女子たちは、キャラ作りなどすることなく、「ありのまま」で特権的地位にいられたのです、女子の教室内政治においては。
その「体格が良く大人っぽくカッコいい女子が教室内政治を牛耳る」というのは、中学卒業くらいまでは続きました。
高校になって、教室内政治がもっと複雑になり、また漸く体格で女子に追いつき追い抜いた男子の存在もあり、体格が良くて大人っぽくてカッコいい女子グループの覇権は一時の栄光を失いますが、それでも女子だけの場面ではその存在感と影響力は根強く残っていましたね。
私はと言えば、高校生になってから奇跡的に身長が伸びたのと、さすがに持ち物や髪型から母親の趣味を排除でき、そして引き続きニッチなキャラに磨きをかけた私でしたが、三つ子の魂百まで、と申しましょうか、動物が自分より体が大きい同種には最初から戦意を喪失してしまいひれ伏し従うように、「体格が良くて大人っぽくてカッコいい女子」に対しては、「彼女たちに嫌われないように上手く立ち回らなければ」と本能的に構えていたような気がします。まだ、スクールカーストがなかった、あったにしても長閑なものであった時代の高校生活でしたが。
大学生になって、制服を脱ぎ捨て自分の好みで装えて、ヒールの高い靴を履けて、本当に解放された気分になったものです。

自分の体験を長々と書いてしまいましたが、私が言いたいのは、ジェーン・スー氏は同性である女子(←敢えて「女子」とします)の政治的世界においては、常に覇権を握る恵まれた側であったのではないか、ということです。
ジェーン・スー氏は、体格が良いだけではなく、文章から推し量るだけでも、勉強・仕事は有能で、会話をすれば知的な丁々発止で合コン相手を虜にし、ピンクは似合わないかもしれないけれど「辛口」のファッションを都会的に着こなし、等々、これは同性の世界では、いつも無条件で一目おかれ、発言権があり、慕われるポジションなのです。
「可愛らしさだけを通行手形にして人生関所をらくらく通過する女たち」とジェーン・スー氏は言いますが、実際は、「可愛らしさだけを通行手形」に定めた瞬間に、女子はイバラの孤高の道を歩むことになるのではないでしょうか?「可愛らしさだけを通行手形にする」という同じ方向を目指す同類とはライバルですから、周囲との連帯などあろうはずもありません。「可愛らしさ」を磨くために一瞬たりとも気を抜くことさえできません。白鳥がその美しい姿を湖面に晒していると同時に水面下では水掻きであがいているように、苦労や血の滲むような努力を隠して「可愛らしさ」をキープしたとして、或る日気がついたら「老化」という抗えない壁にぶち当たる、あたりを見回しても連帯できる友人もいない、というのは、「女」という生物にとって幸せな生き方なのかどうか。

ジェーン・スー氏自身は意図していないかもしれませんが、彼女が自らのコンプレックスと和解する過程を読者に見せることによって、また四十路を迎えた彼女の人となりを文章を通じて知ることによって、「可愛くなければ幸せになれない」という世にはびこる固定観念とは違った考えを持つに至るのです。


とすると、ジェーン・スー氏の「可愛らしさ」との関係の歴史は、更に別の見方につながるのではないか、と思います。
「あとがき」でジェーン・スー氏はこう書いています。

理想という名の正論と目前の現実が大幅に乖離している時、理想以外をNGとすれば、必ず自分の首が絞まる。なぜって、世が明ければ気に入らない現実は必ずやってくるから。ならば、理想と現実の間に今日の落しどころのようなものを見つけよう。それが諸々の事象に対する、私の暫定的着地です。これが、楽。すごく楽です。


「可愛らしさだけを通行手形」にして、結婚を手に入れ、出産して「少子化」を食い止めるために貢献し、子育てと仕事を両立させてアベノミクスとやらに貢献するだけが、幸せな女の人生@21世紀前半の日本、ではない、ということです。

ジェーン・スー氏は、「可愛らしさ」との関係において自己のコンプレックスと和解しただけではなく、四十路であったり、未婚であったり、未出産であったりする自分を肯定しています。

酒井順子氏が「負け犬の遠吠え」を書いたのは、1992年の国民生活白書が「少子化」という言葉を使ってから10年後でした。「30代以上、未婚、未出産」である女性へのエール(自虐風味ではありますが)とも言えるこの本は、世に反響をもたらし、反響があったということは、勇気ある著作であったということです。
で、それから10年経ち、10年もあったのに、政策の貧困と対策の遅延が相俟って「少子化」は依然として全く解決していませんが、明らかに風向きは「30代以上、未婚、未出産」の女性には逆風です。
現政権がうたいあげる「女性が輝ける社会」とは、「結婚して仕事も子育ても頑張る」道のみを指しているかの如くです。
例えば、企業人やら官僚、政治家の女性でも、独身で、もしくは結婚していても子供は持たずに結果を出している方よりも、「子育てと仕事を両立させている」方に注目が集まるのは、おかしなことではないか、本来なら、「未婚・既婚」「子持ち・子なし」関係なく女性という括りの中であっても成し遂げた仕事上の「結果」だけで判断されるべきなのではないか、と思います、男性はそうなのですから。
「女性が輝く社会」という言葉に隠された別の形の「女性の分断」を感じてしまう今日この頃、「未婚のプロ」ジェーン・スー氏のこの本は、2003年に「負け犬の遠吠え」を書いた酒井順子氏にも増して勇気ある提言だと言えるのです。
「可愛らしさだけを通行手形」にしなくても、心豊かで幸せな生き方ができること、全ての女性に対してそれを示した、意義ある一冊でした。

  笹井氏の自殺を許せません。

丁度、52歳と5ヶ月生きて去る8月5日、笹井氏は自ら命を絶ちました。


「笹井氏自殺」の報を受けて、報道やSNSでの笹井氏に関する論調がガラリと変わりました。

笹井芳樹という科学者は、ノーベル賞を受賞した京都大学の山中教授に勝るとも劣らない、世界的にも高く評価された科学者であり、研究分野のみにとどまらず理研CDB設立当時から今日まで文字通り先頭に立って理研を引っ張ってきた実力者であった、責任感が強く3月には既に副センター長を辞任する旨を上層部に伝えていた、また研究室閉鎖の場合の研究員の身の振り方も親身に相談に乗っていた人格者、

と語られています。
最早「であった」「いた」と過去形で語らなければならない故人になってしまったのですが。
「惜しい科学者を亡くした」という論調一色です。
しかし、笹井氏が自死する直前まで、つまりほんの数日前まではどうだったでしょう?


山中教授及びiPS細胞が脚光を浴びていることに笹井氏が嫉妬して、巻き返しをはかったのがSTAP細胞。派手な広報も含めてSTAP細胞の黒幕、理研の予算獲得で力を奮いそれで建設された建物は「笹井ビル」と呼ばれている、小保方さんを過度に重用し論文指導をしていたが、4月の会見では自らについては責任逃れの弁明に終始した卑怯者、


と、マスコミは笹井氏のことを語ってはいなかったでしょうか?
どちらが、本当の笹井氏なのでしょう?


自死、という現実は、本人に対する評価を書き換えるべきことなのか。
「死屍にはむち打たず」と、日本人らしい振る舞いで、この件を終わらせてよいのでしょうか。


また、笹井氏の死後すぐに、彼が、騒動が起こった直後の2月から心療内科を受診し、3月には一ヶ月入院していたこと、最近では薬の副作用のせいか会話が困難であったり研究室内で議論ができない状態であったことが、理研の広報から、また氏を知る人からの情報として出てきたので、「笹井氏の自死は、彼の正常な判断によるものではないから、議論すべきではない。」という雰囲気も次第に大きくなり、自死を批判するのに代わって、ますます笹井氏の業績を惜しみ讃える報道や発言が増えているのが現状です。
例えば、finalvent氏は、ブログの中でこう言っています。

私の印象は、氏の自殺は、通常の精神疾患の帰結であり、それ以上の意味はないだろう、というものである。
 つまり、氏に限らない。そういう精神状況にある人には一定の自殺の危険性があり、そこが十分にケアされないとき、自殺の事態が起こりやすくなり、今回は偶然死に至った、というだけのことだと私は思う。


しかし。
笹井氏は、医者です、それも京都大学医学部の、そして博士号を持っている医者であり、科学者なのですよ。
抗鬱薬の副作用について、無知な我々一般の人間とは違うのです。
それをあたかも、医学博士である彼を、我々一般の無知な患者と一緒にしてしまって、つまり、「薬の副作用の犠牲者」にしてしまってよいのか。
そして、彼が現在の日本で最高の知性を持つ一人であったことを考えると、「抑うつ状態にあり、薬の副作用もあり、結果偶然に自死を選んだのであり、責任はケアを怠った周囲(即ち、理研)にある。」と、笹井氏のSTAP細胞騒動における責任まで免罪してしまうというのは、逆に、笹井氏に対して礼を失することではないかと、私は思います。

科学者として一番脂が乗った53歳という年齢で研究を完遂することなく放擲し、また社会的地位と責任、家庭における責任を果たすことなく、自らが率先してこの騒動に巻き込んでしまった小保方氏の去就に責任をとることなく、自死という道を選んだ笹井氏。
うやむやなまま封印してしまってもいいのか。



彼が何故、自死を選んだのか、考えてみました。


今から4ヶ月ほど前、笹井氏は理研のバッジをつけて、会見に臨みました。
私は会見の一部始終を見ましたが、笹井氏は、彼を形容する時によく使われる「論文の理論的構成の天才」という形容に相応しく、徹頭徹尾論理的で、能弁で、時には笑みさえ浮かべる余裕を見せ、そして自分の責任については一刀両断否定しました。
画面を通して見ていた私の目には、ダースベイダーのように、つまり頑強な自己防衛の理論で武装した、難攻不落の人に映りました。
あの時、会見場にいたマスコミの記者、フリーのライターの方々の目にも、同様に映ったのではないかと思うのは、この会見を受けての報道は、「笹井氏、責任逃れ」というものであったことでわかります。
素人の私は会見の映像からでは、「直前の一ヶ月、心療内科に入院していた」とはとても推察などできませんでしたが、それはプロであるマスコミの方も同様だったわけですね。事前に取材とかしなかったんでしょうか。または、取材で入院の事実を知ってはいたが、笹井氏をダースベイダーに仕立てるために敢えて報道しなかったとか?
また、マスコミついでに言うと、先月27日「NHKスペシャル」で「STAP細胞不正の深層」という番組を放送し、その中で笹井氏と小保方氏の私信メールまで暴露したNHKは、その番組の中でも、一言も、「笹井氏は、心療内科に一ヶ月入院するほどの心労だった。」とは触れていないわけで(これは特ダネの部類です)、さすがのNHKもそこまでの取材力はなかったのでしょうし、その程度の取材であの番組を作ったのでしょう。
ともかく、NHKを含むマスコミは、あの会見で笹井氏のことを、ダースベイダーだと見なしたからこそ、以後も、氏に関しても小保方氏に対するのと同様に酷い報道を繰り返したわけです。
SNSやブログでこの問題について意見を述べる人たちも皆、笹井氏をダースベイダーとして扱ってきました。

会見では笹井氏が付けていた理研のバッジも、「保身の象徴」として捉えられていましたよね。

それが、今回の氏の自死を受けての、氏の上司である竹市センター長の会見では、竹市氏は「彼の名誉のために言っておきますが、彼は3月の時点で辞意を伝えていた。」と語ったのです。「名誉のために」というのは、「責任逃れをするような人物ではない」という意味なのでしょうが、それと、4月の笹井氏自信満々の会見は、整合しません。笹井氏がそれを説明しないまま自死した今となっては、笹井氏の本心は、永久にわからないままですが、一つだけ言えることは、一視聴者だった私と同様、マスコミのプロの方も、会見の一ヶ月前に辞意を伝えていた笹井氏の本心は見抜けなかったということです。

笹井氏は、自分の研究室が閉鎖されることを見越して、研究室のメンバーの就職先を探したり未完成の論文の指導をしていたそうですから、竹市氏が言うように、笹井氏なりに、責任をとって辞任した後の道筋も見えていたし、描けていたのではないかと思います、少なくとも4月の会見から最近に至るまでは。
ストレスからくる心労は大きなものであったでしょうが、それでも笹井氏は理研に出勤していました。



それが何故、今頃になって自死を選んだのか。

分子生物学会・日本学術会議NHK」のせいである。


と言っている方もいます。→ Open ブログ 笹井さんを死なせたのは誰か?(STAP)

確かに、日本分子生物学会は先月、立て続けにSTAP細胞理研の対応について、激しく批判しています。

理事長声明「STAP細胞論文等への対応について、声明その3」・・・7月4日

STAP細胞問題等についての、理事、元役員経験者からの自主的なコメント

日本学術会議も同様です。

日本学術会議幹事会声明 「STAP細胞事案に関する理化学研究所への要望と日本学術会議の見解について」・・・7月26日

そして、7月27日に放送された、NHKの番組は、小保方氏と同様、笹井氏にとってもショックなものだったことでしょう。


でも、これらは、笹井氏にとっては何の破壊力もなかったでしょうし、自死の直前まで多忙を極めていたという笹井氏はそもそも分子生物学会や学術会議の声明など読んでいない、目にしていない、NHK渾身の番組もそもそも観ていない可能性だってかなりあります(小保方氏は視聴していないそうですし)。


それよりも、笹井氏にアッパーカットをくらわし、不死身のダースベイダーでさえ立ち上がれないほどのダメージを与えたのは、これ、岸輝雄氏が委員長を務めた改革委員会が出した提言書、だと、私は確信します。


研究不正再発防止のための提言書  研究不正再発防止のための改革委員会 委員長 岸輝雄・・・6月12日



このPDF 30ページにわたる提言書は、笹井氏が今までの人生を懸けて築き上げてきた全てを否定し、奪い、目の前で破壊してしまうものでした。
「人生を懸けて築き上げてきた全て」とは、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)です。

この提言書は、あまり大きく報道されなかったのか、STAP細胞問題ウォッチャーの私も見落としていました。今回笹井氏の自死を知って、理研のサイトを見ていてみつけて読んで、その内容に驚愕しました。
この提言書、発表されたのが、6月12日。ワールドカップ開幕日前日!!!
日本中がお祭り騒ぎで浮かれていたのですから、内容も発表されたことさえ誰も気に留めなかったのでしょう、私もですけど。

でも、笹井氏はこれを精読したに違いありません。
何度も読み返し、笹井氏の高度な論文構成力を以てしても、この提言書の内容を覆す理論立ては見つからず、世の中がワールドカップで浮かれている中、一人絶望したのではないかと、私は提言書を読んで想像しました。

恐ろしい提言書です。
先ず、理研理研の調査委員会が、今までの調査、対策の拠り所にしていた「研究不正防止規程」をバッサリ切って捨て、広義の「捏造、改ざん、盗用」で判断すべきだと宣言しています。

またそもそも「研究不正再発の防止」における「不正」を、理研の「科学研究上の不正 行為の防止等に関する規程」(平成 24 年 9 月 13 日規定第 61 号。以下、「研究不正防止規程」 という)に定義された「捏造、改ざん、盗用」に限定して考えようとする向きがあるが、この狭義の不正の定義に固執することは、元来、理研が社会の信託のもとに存在するとの 常識的な視点に立てば、不自然であり、科学者コミュニティにおいて要求される規範から の逸脱行為である「科学としての不正」こそが防止するべき対象であることは明白である。

つまり、理研と調査委員会が、自浄作用として取り組むにあたって拠り所にしていた規範をのっけから破壊され、いわゆる「悪意」があろうがなかろうが、「科学としての不正」を判断すべきであり防止すべきである、と言われてしまったのです。
これに則れば、小保方氏は勿論アウト、笹井氏、丹羽氏もアウトになる可能性大です。
否、笹井氏ほどの人ならば、提言書が広義の不正の定義に変更すると宣言しても、STAP細胞研究は現行の研究不正防止規程の下に行われた研究であるから理論上は免れる、と考えたかもしれません。
しかし、その後延々と続く、CDBの「改革」について読んだ笹井氏は凍り付き、絶望したのではないかと想像します。


現行のCDBの体制や雰囲気、それは取りも直さず笹井氏が目指した形であったのだと思いますが、それは例えば、

風通しがよい体制、気心がしれて互いに信頼できるGD(グループ・ディレクター)数名での素早い意思決定、年次や学歴や縁故ではないフレキシブルな人材の獲得や抜擢、それを可能にする「伯楽」としての能力を兼ね備えたGD、欧米の研究所並の高度な研究倫理教育の徹底、年功序列ではなく研究の成果によって評価される実力主義の組織、

のようなものであったと想像されます。笹井氏にはCDBという理想とする組織を築いてきた自負と自信があったことでしょう。
ところが、提言書はこれを全て否定します。

ガバナンスが緩んでいる体制、GDの馴れ合いで物事が決まる組織、掟破りで小保方氏を採用するという規則を逸脱した人事、小保方氏の研究者としての未熟さを見抜けなかったGDの無能、研究倫理に関する講演会も実際は低い出席率、管理者対象の研究倫理研修の参加率も低迷、管理職に配布して内容を確認した旨の「確認書」の提出まで義務づけられている理研自慢の「研究リーダーのためのコンプライアンスブック」であるが、小保方氏もこれを配布され確認書を提出していたところから形骸化している、iPS細胞研究を凌駕する画期的な成果を獲得したい動機によって小保方氏を採用するに至った、


と、笹井氏が理想とした価値観を180度引っくり返され、断罪されています。
極めつけが、CDBへの提言として、

任期制の職員の雇用を確保したうえで早急にCDBを解体すること。新たなセンターを 立ち上げる場合は、トップ層を交代し、研究分野及び体制を再構築すること


と書かれていることです。しかも、CDBと笹井氏にとっては屈辱的なことに、

ひとり理研のためではなく、京都大学 iPS 細胞研究所(CiRA) との協力関係の構築など、この分野での日本全体の研究力強化に貢献し世界を牽引する研 究を推進する観点で、研究分野及び体制を再構築すること。CDB 以外の生命科学系センタ ーとの合体、再編成も視野にいれること


とされ、だめ押しに、2012年にCDBのアドバイザリー・カウンシルが出した提言を引っ張りだして引用しています。

“Seek to establish a harmonious and constructive relationship with Dr Yamanaka and CiRA with respect to iPS cell research.”

ここに出てきた、かの山中氏は、言及される時にはいつでも「京都大学の」と形容されますが、山中氏は神戸大学の出身です。よく山中氏ご自身が語っているように、「手術がド下手で『じゃまなか』と言われた整形外科医」であった山中氏は、大阪市大で博士号取得、という、学部でも大学院でも京都大学では一切教育は受けておらず、留学とNAISTを経て、京都大学医学部の教授に、まさに笹井氏の後任として招かれた方です。そんな山中氏が、iPS細胞でノーベル賞を受賞し、京都大学の名誉を一身に担う立場になったわけです。かたや学部から京都大学で、36歳の若さで母校の教授になった、その限りではこの上ない日の当たる道だけを歩いてきた笹井氏ですが、誰よりも笹井氏ご本人が、「京都大学の」と形容される、ノーベル賞受賞者を夢見ていたのではなかったか。
それは、山中氏に対する対抗心でも、笹井氏本人の名誉欲でもなく、「責任感」「使命感」のようなものではなかったかと思うのです。
だからこそ、小保方氏のSTAP細胞研究を判断する目に曇りが生じてしまった、小保方氏自身の未熟さを過小評価(!)してしまったのでは?
それを笹井氏が一番痛切に感じていたであろうところに、この提言書です。

笹井氏に最後の一撃を与えるごとくのだめ押しのだめ押しに、この提言書の最後の一文は、朝永振一郎氏の言葉が引用されて締めくくられています。


自由な発想が許される科学者 (研究者)の楽園を構築すべく、理研が日本のリーダーとして範を示すことが期待され る。

「科学者の楽園」とは、京都大学出身で、理研の研究員を経て、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏が、理研を評して述べた言葉だそうです。
笹井氏は、全力を注いで、彼なりの「科学者の楽園」を築いてきました。
自らの研究に邁進することや、研究室の科学者を育てるだけではなく、国と交渉して予算を獲得し、神戸市と折衝して研究棟を建て、茶目っ気ある振る舞いが有名だった朝永氏に負けないほど多能で多芸な才能を発揮し、「科学者の楽園」を作り上げたと確信していたと思います。
山中氏に先を越されたノーベル賞よりも、「科学者の楽園」であるCDBを作り上げたことこそが、笹井氏の誇りであり、アイデンティティの全てであったと思います。
それを、解体する、しかもiPS研究と協力・合体することを提示されたら?

笹井氏は、そんなCDBなど見たくはなかったと思います。
そんなCDBを見るくらいなら、生きていたくなかったのではないでしょうか?
論文執筆の名手、希代の理論家である笹井氏は、もういかに自分が奮闘しても、自分が作り上げたCDBを今のままにとどめておくことは1%の可能性もないことを、将棋の名人が何百手先まで見通せるようにはっきりと見通せたのでしょう。


CDBの解体という、恐ろしい未来の前には、STAP細胞など、笹井氏にとってはもうどうでもよいことになってしまっていたのかもしれません。
STAP細胞問題について最後まで見届けるとか、小保方氏に対する責任とか、それらは二義的なことになっていたのでしょう。


いつ、自ら死を選ぶことを決めたか、それはわかりません。
しかし、それは、マスコミが言うような、「理研という組織に追いつめられて」とか「抗鬱薬の副作用で」とかでは決してなく、笹井氏の本質である「明晰さ」の中で下された判断である、と私は思いたいですし、信じたいです。

「死屍を鞭打たず」とばかりに、安易な理由を見つけて、彼の自死を曖昧にしてしまうのは、笹井氏に対する冒涜ではないでしょうか。


遺書を何通もしたため、ロープを用意し、明け方のCDBの中を彷徨したのでしょうか。
間違いなく、笹井氏の人生の全てが詰まったCDB以外に、そして遠くないうちに解体されて今の姿ではなくなるCDB以外に、最期の場所はなかったのでしょう。
笹井氏が発見されたのは、研究拠点である発生・再生科学総合研究センターではなく、笹井氏自身の研究室がある先端医療センター研究棟2階でもなく、iPS細胞の研究もしている先端医療センター研究棟4階と5階の階段の踊り場だったそうです。
何故、CDBの中でその場所を選んだのか、今となっては笹井氏に尋ねる術はありません。



それでも尚、私は自殺を非難します、笹井氏の自殺を許せません。
死屍に鞭打ちます。
笹井氏にとっては、もうSTAP細胞問題などどうでもよいことだったかもしれませんが、世の中に生きる凡人である私たちは真実を知りたいとずっと思っているわけです。
本当に存在したのか?存在しないのならば、どうしてそういうことになったのか?
明晰でならした笹井氏には、それを解明する義務があったのに、その義務を放擲して自殺したことは許せません。
とても嫌な無力感を人々に残したまま、自殺の道を選んだ笹井氏を許せません。


笹井氏にとって、自らが築き上げたCDBの解体は「絶望」そのものだったのかもしれません。
その「絶望」が現実になるなら、生きている価値はないと思ったのかもしれません。
しかし、2011年3月11日を経て、笹井氏は知らなかったのでしょうか。
妻、長男夫婦とその幼い子供、老いた両親、それら家族を全て津波で失って、たった一人生き残った男性が、自宅の再建に立ち上がっていること、
三人の子供全てを津波で失った残された夫婦が、また生きていこうとしていること、
また、医者でもある笹井氏は、数多くの難病患者を見てきたのではなかったのか。
病気のせいで人生の楽しみをことごとく奪われて、「生きていること」だけが希望になっている患者の方々。
笹井氏の「絶望」は、本当に「絶望」と言えるものだったのか。
彼が医者として今まで救った数多の命と同じく、笹井氏自身の命も尊いものであること。
それについて、最期の瞬間に笹井氏が、あの明晰な頭脳を持つ笹井氏が、思いを巡らすことなく、自死を選んだのが、本当に本当に残念です。


ご冥福をお祈り申し上げます。

確かに小保方氏の問題は「リトマス紙」であること 2ヶ月で打ち切られた理研の調査について 雑感 

STAP細胞会見がえぐり出した日本社会の二極化 ロンドン電波事情 WirelessWire より

愕然としたことの一つは、あの会見のリアクションがえぐり出した日本社会の二極化であります。事実を客観的に批判できる知性のある人々と、そうではない人々です。

私も、このご見識に全く同感です、全く違った意味でですけど。

元々、1月の末に華々しくSTAP細胞発見 ネイチャー誌に載る」と報道された時には、私は全く関心がありませんでした、「世紀の発見をしたリケジョ」「末はノーベル賞」と当時はもてはやされた小保方氏個人についても、全く関心はありませんでした。
ですから、大新聞のどれもが「割烹着」「ムーミン」という文字を一面に踊らせている浮かれぶりは如何なものか、とは思いましたが、誰がどのように熱狂していたのか、それもよく覚えていません。
文系ですしね、STAP細胞とやらで再生科学の何が変わるのかさえ、よくイメージできませんでした。
やがて、「科学者コミュニティ」の方々が匿名及び実名でネット上で論文の幾つもの箇所に疑義を挙げられるようになりました。
それは小保方氏と彼女の出身大学である早稲田大学の博士論文の大量コピペが暴かれるところまで至りました。
それらの記事も流し読み、文系ですからね。
ところが、俄然興味を持つようになったのは、3月半ばの、理研調査委員会中間報告です。
理研のホームページから報告書をダウンロードして、ニコニコ動画で中継を見ました。
文系ですからね、文章は読めるのです。調査委員会が考えていること、やろうとしていることを、文章中に展開される論理にそって理解はできます、文系ですから。
同じく、3月末の調査委員会最終報告書も読みましたし、勿論会見も最初から最後まで全て見ました。
そして、4月9日の小保方氏の会見になります。この会見は大変長いものでしたが、これも全部見ましたし、書き起されたものもネットで読みました。
この小保方氏の会見の後ですが、世間の論調は奇妙なものになります。
代理人である弁護士が調査報告書に対して反論した内容ではなく、小保方氏の言葉尻(「200回以上成功しています。」「STAP細胞はあります。」)を捉えて揶揄したり、2時間半以上の会見の中で小保方氏がハンカチで涙を押さえた5秒を捉えて「泣いた」と言い募る一派、かたや「一生懸命やっているではないか。」と的外れな応援をする政治家やら、会見の目的やら内容とは離れての論調にどんどん変質していきました。
その変質はとどまるところを知らず、いつの間にか、「ネイチャーに投稿した論文の正当性」やら「理研の規定に照らし合わせて『研究不正』なのかどうか」ということは問題にならなくなり、「STAP細胞はインチキであり存在しない」「小保方氏は詐欺師である」「そんな人物が博士号を持ち理研で高給をとっているのは許せない」という方向に変わってきたのです。
小保方氏本人が、消費されるコンテンツになってしまったのです、それも骨までしゃぶり尽くされるような。
それに加えて、冒頭に示したように、変な枠組みを作る動きも出てきました。
「リトマス」と呼ぶ人もいます。
そのリトマス試験紙だか枠組みは、このようなもののようです。

小保方氏を擁護する人
→事実を客観的に批判できず知性のない人、ニセ科学やオカルト、陰謀論を信じる人、引用と盗作の違いすら知らないノウタリン、愛国の人、反日を攻撃する人、放射脳の人、科学を理解しないヤンキー、お馬鹿な政治家、
小保方氏を批判する人
→事実を客観的に批判できる知性のある人、マトモな研究者や科学者、経験豊富なサイエンスライター
リトマス試験紙どころか踏み絵も超えた、この暴力的とも言える枠組みの設定は、それこそ「空気を読まなければ生きていけない」日本において、少なくともこの問題に関して、自由な発言を妨げるものになっています。
自称を含めた科学者の方々、評論家や有識者と呼ばれる方々、芸能人やコメンテーター、マスコミ、市井のおじさん、おばさんまでが、今、見事に空気を読んで、小保方氏非難・批判・攻撃に、一億火の玉となっているかのようです。

理研の調査委員会の報告書及び会見、小保方氏の会見の全容と不服申立書、及びその後出された補充書、そして先日の調査委員会、これらを読むなり一部ではなく全体を観るなりして、判断しているのなら、それは人それぞれで、様々な感想、判断があっていいと思います。
しかし、どうも、種々の報告書は読んでいない、会見もサワリしか見ていない、数分のニュースにまとめられたものしか見ていない、twitterで有名人が述べている意見を鵜呑みにしているだけ、というものもかなり散見されるのです。
市井のおじさん、おばさんが、お茶の間やら井戸端会議で喋っているのならまだ罪はありませんが、一知半解の意見がさも賢しらにtwitterやブログで述べられているのには、一人の市井のオバサンとしても沸々と腹が立ってくるのです。

例えば、冒頭のtweetをなさった、めいろまこと谷本真由美氏ですが、他にもこの問題について色々と酷いtweetをしているのですが、不思議に、調査報告書と不服申立書の内容について、彼女がtwitterやブログで書いているのを見た記憶がありません。
谷本氏ご本人にも事実誤認があるようですし、そもそも各会見を全て見た上での発言ではないようです。
・ネイチャー論文に「民間企業からのコピペがある」と谷本氏が誤認されている件
小保方氏に対する、めいろま(May_roma)こと谷本氏の暴走&迷走があまりに酷いので 
・小保方氏の会見についての谷本氏の偏見
小保方氏の会見に対する、May_roma氏こと谷本真由美氏の批判は、公平でないと思うこと
そもそもの論点に当たらずに、以下のようなtweetをすることは、慎むべきではないでしょうか。
もっとも、これもある意味、「リトマス」なのだと思いますが。

こういう発言を見ていると、本当にこの小保方氏の問題は「リトマス試験紙であると思います、冒頭の谷本氏が言っていることとは全く違う意味で。
批判・擁護どちらの立場に立つにせよ、
「ちゃんと、出された文書を読み、行なわれた会見を見て、自分で感じ考えた意見を言っている人」
「編集意図を以てパッケージされたものを見ただけで、若しくはネットに落ちている威勢のいい意見を見ただけで、深く考えることをせずに意見を言っている人」
との二極化ですよね、まさに。


また、記者というプロの方々の中にも、「取材対象から出された文書を前もって読んでおく」ということすら怠っている方もいるようです。

Wmの憂鬱、隠し球が決めた小保方さんの研究不正確定【日経バイオテクONLINE Vol.2050】

5月8日の理研での「再調査の必要なし」という調査委員会の記者会見を経て書かれたこの記事の中で記者の宮田氏は

調査委員会が隠し球を投げたのは、報告書の6頁です。実はSTAP細胞の論文は2012年4月にNature誌に投稿し、掲載拒絶された論文(2012年論文)に加え、ほぼ同じ内容の論文をScience誌とCell誌にも投稿しており、それぞれ掲載が拒絶されていました。調査委員会はその論文とレフェリーの掲載拒否や論文に対する問い合わせなどに関するメールを証拠として調査していました。この事実は一切今まで明らかにされていなかったものです。

と、隠し球と言っていますが、これは5月4日に小保方氏代理人から出された「不服申し立てについての理由補充書(2)」の中で、既に書かれていることです。

その後、Cell誌やScience誌にも、同様の論文を投稿したが不採用となっている。理由補充書 要約版全文 

つまり、小保方氏側からの補充書に記載してあるものを、理研調査委員会の「隠し球」と呼ぶのは、甚だしくおかしいことで、宮田氏は補充書を読んでいない、としか思えません。
この記事に、「いいね!」が600近く押されているということは、これを読んで納得している人がこれだけいるんですね・・・。
しかも、会見においてのその後の朝日新聞の記者のやり取りの中で、どうも、理研側もこの補充書を読んで、Science誌とCell誌のことを知った様子もあるのです、それもごく近日に。
というのは。
先ず、この両論文の著者の一覧を調査委員会はその場では答えられませんでした。
更に、電気泳動写真に関するScience誌のレヴュアーからのコメントを、調査委員会は山梨大学の若山氏から入手したそうなのですが、それなのに「若山氏がこのレヴュアーからの回答を読んでいるかどうかはわからない」と朝日新聞の記者の質問に答えているのです。
もし若山氏がこのコメントを読んでいたのなら、小保方氏に対して「コメントに書いてあるのだから知らないはずがなかった」と言っているのと同様のことが、共著者である若山氏にも当てはまることになります。つまり、この場合若山氏の方から、自主的に調査委員会にこの「隠し球」を知らせるというのは、考えにくいですし、知らせる義務もありません。
逆に、若山氏がこのコメントを読んでいなかったのなら、当然その内容を知らないわけですから、ますます自主的に調査委員会に提出するはずもありません。ついでに小保方氏が「読んでいないこと」を怠慢というのなら、同様のことが若山氏にもあてはまります。
調査委員会が補充書を読んで(つまり「隠し球」などではない)、それから若山氏に問い合わせて、その「若山氏が読んでいるのかどうかわからない」コメントの提出を請求したという可能性が高いのです。
どちらにしても、調査委員会はこのコメントの内容に気を取られる余り、このコメントの存在によって若山氏が小保方氏と同じ責任を問われるということに関して、詰めて考えてはいなかったようで、朝日の記者の、「最終報告書では共著者は『容易に見抜くことはできなかった』とされているが、レヴュアーのコメントが存在するのなら、共著者の責任が変わってくるのでは?」という質問には、「その責任については変わらない」と強弁するにとどまっています。
このScienceとCellの論文に関するくだりは、まだまだ突っ込みどころが満載で、「(コメントを受け取ったであろう)2012年8月からネイチャーに再投稿した2013年4月までの9ヶ月間、ScienceやCellでは共著者ではなかったが最終論文の共著者ではあった、笹井氏や丹羽氏ですが、居住地や研究室の引っ越しで多忙という(←これは小保方氏)わけでもなかった彼らが、その長い期間にコメントを読んだ可能性はなかったのか?確認する義務はなかったのか?」という疑問も湧いてきます。
同じように文脈を理解し正当な突っ込みをしている方々も勿論いらっしゃいます。

こうなってくると、調査委員会が再調査の必要なし、とした判断の妥当性が疑われます、この一件だけでも。


他方、小保方氏側が明らかにした事実を調査委員会の「隠し球」と呼んだ宮田氏と同じくらい、おっちょこちょいの方もいるようで、

「常習犯」という言葉を使っていらっしゃいますが、調査委員会が論点としているのは、「悪意」を「故意」と解釈した場合、小保方氏はレヴュアーの回答を読んでいたに違いないから「故意」である、ということなんですけど、そこのところを全然わかっていらっしゃらない?

同じく、

池田信夫先生のお言葉ですが、同様に、ここでの論点は「科学」やら「常識」ではなく、「故意」の証明なんですけど・・・。


そして、再調査の必要なし、とした調査委員会に対する批判はとても少ないのです。
しかし、今回の問題の「論文不正」告発の端緒となった11jigen氏のブログに置いてさえ、今回の問題に関する調査期間が、他の「論文不正」の事例と比べても極端に短いことが指摘されています。
小保方晴子のSTAP細胞論文の疑惑
この中から引用します。

別の研究不正事件の調査経緯との比較

研究不正告発から調査結果発表までの期間 まとめ
理研:約2ヶ月
東北大:約10ヶ月
東大セルカン:約3ヶ月〜2年3ヶ月
獨協医大:約1年
名市大:約1年1ヶ月
東京医科歯科:約9ヶ月半-1年1ヶ月
三重大:約2年2ヶ月半
筑波大:約2年1ヶ月半
東大分生研(中間報告):約1年11ヶ月半

調査期間が、極端に短いどころか、本当に調査と審査が尽くされたのか?という大きな疑問が残ります。

しかも、調査委員会が最終的に二つに絞った「不正の証明」箇所ですが、

電気泳動写真については、調査委員会は、小保方氏がやったやり方(一方を拡大ではなく縮小して「目視」で二度ずらした)を再現してやってみることなく、「完全な一致が見られない」「データの真正さを欠くことには変わりない」と結論を下しています。どうやら、小保方氏が器用にやってしまった「目視」で、というのが、お気に召さないような報告書の書きぶりです。この実験はデータも(珍しく)小保方氏もきちんと把握できているようですし、「きれいに見せたい」という小保方氏の「お・も・て・な・し」精神があだになった、という感あり、です。そもそも(珍しく)真正で好ましいデータがあるのですから、ズボラならズボラのまま、2枚並べて貼っておけばよかったんですよね。
更に、「切り貼り」という件に関しては、「その言葉で全てのデータ処理を一括りにしてはいけない」ということは文系の私でもわかりますが、前調査委員長の石井氏も、現調査委員会メンバーの田賀哲也東京医科歯科大教授も、行なっていたことが明らかになり、それぞれの所属機関で「不正ではない」と認定されていますが、文系の私には窺い知ることはできませんが、どうやら、その「切り貼り」がセーフかアウトか、ということについては、はっきりとした基準はないようですし、いみじくも田賀氏は、「10年前はOKでした」と自らの「切り貼り」について発言していました。同じ「切り貼り」ですが、小保方氏はどう「切り貼り」すればセーフだったのか、それを示して頂かないと、文系人間には納得が難しいところです。


画像の「取り違え」については、こちらの方がより話が複雑なのですが、一番わかりやすい調査委員会のポカは、3月末の最終報告書で、「早稲田大学の学位論文と似た配置の図から切り取った跡が見える」と、多分ネット上の情報を鵜呑みにして決めつけたのですが、実はそれは、「ラボミーティングで使ったパワーポイントの資料から取られたものであった」と不服申立書で明らかになったということです。このポカについては、当然スルーしている調査委員会ですが、文系一般人から見たら、これは心証を大きく左右することなのですけどね。「早稲田の学位論文から、画像を取ってきてそれを天下のネイチャー論文に使うなんて、ふてえ野郎だ!」となるのですが、これが、「ラボミーティングで使ったパワーポイントの整理がぐしゃぐしゃで間違えた」、ということになると、受ける印象が全く違います。


上記2点だけに関しても、まだ調査はし尽されたとは言えないと思いますし、これだけの騒動になったのですから、小保方氏と調査委員会と、見える形で、調査と弁明を続けるべきだと思います。

小保方氏が懲戒委員会にかけられ、(多分)免職などの処分を受けるとしたら、それは誰が見ても当然!の理由を以て行なわれなくてはならないと思います。
小保方氏にとっても、ぐうの音も出ないほどの証拠と証明を出されての、辞職なり免職なりでないといけません。
たった二ヶ月の調査で打ち切るというのは、小保方氏の被害者意識を無用に募らせるだけではないでしょうか?
「何を言っても通らない」と小保方氏がコメントしているのなら、小保方氏は納得などできていないということでしょうし、それならばこの問題は、今後、理研の調査委員会を離れて、法廷で争われる可能性もあるということです。

科学者コミュニティの方々は、それを良し、とするのか?

その意味で、今回理研の調査委員会がたった2ヶ月そこらで調査を打ち切ったことは、逆に日本の科学史における大きな汚点になるでしょうし、野依良治理事長が唱える「信頼の回復」からはほど遠いものであると言えます。

小保方氏の、公開された実験ノートを見て 雑感

予想通り、というか、予想外、というか、予想以上、というか。


小保方氏の代理人である弁護士が公開した小保方氏のノートの件です。
あちこちで見られますので、ここでは敢えてリンクは貼りませんが、マウスのスケッチと、「陽性かくにん!よかった。」「♡」というヤツです。


日本中を萎えさせたともいえる、この実験ノート公開ですが。
腑に落ちたところと、腑に落ちないところ、それぞれについて考えてみます。


腑に落ちないことのナンバーワンに来るのは、何と言っても何故このノートをわざわざ公開したのか?ということですね。


小保方さんは実験ノートを公開しない方が良かったんじゃ? 最終防衛ライン2 


最終防衛ライン氏も書いていますが、小保方氏本人が「実験をしていたことを証明するために公開したい」と望んでも、フツー、弁護士が止めるでしょ?
しかも、フツーの弁護士などではなく、百戦錬磨のプロの弁護士です。
しかもです、公開されたノートの断片4枚のうち、手書きのコピーの1枚を除いて、残りの3枚は代理人がノートから打ち直したものだそうですが、あの遣り手の策士のような弁護士の先生方が、「陽性かくにん!」と「♡」を律儀にPCに打ち込む、って、何か隠された思惑があるに違いない? 彼らが、「陽性かくにん!」と「♡」を見たマスコミと世間がどのように反応するか、は十分に予想しているはずなのに? 弁護のプロが依頼人にとって不利なことをやるだろうか?と思ってしまいました。

何故、プロの弁護士がこの4枚のノートの断片を「敢えて」公開したのか?について、あらゆる想像力を動員して予想してみるに、
上掲の最終防衛ライン氏のブログのコメント欄にあった、「代理人も、今の仕事を早く終わらせたかったから」というものと(←これはジョークと解釈して)、
もう一つ考えられるのは、この稚拙なノートがどんな批判を受けようとも「これが小保方氏の真実であり、STAP細胞はそれでも尚存在する」という確信があるから、ということですけど・・・。
それにしても、脱力しました。



腑に落ちないことナンバーツーは、今までどうやって世の中乗り切ってきたの?、ということです。
小保方氏は、
早稲田のAO入試、卒論・修論・博論、院試、学振、グローバルCOE高度人材養成プログラムでのハーバード留学、理研への就職、
これらの、関門をくぐり抜けてきたのです。
これらのどれをとっても、「陽性かくにん!」「♡」では乗り越えることはできないでしょう。
見当違いのことを言っている方々もいますけどね。

AO入試から理研の採用まで、これらの関門をくぐり抜けるのには、膨大な書類を1枚の漏れも無く揃えて願書を書き、志望理由書やら研究計画書やらをびっしりと書き(とても「♡」では通りません)、その事務的作業を正確にこなすことは勿論、それぞれの競争において、有力な競争者を押さえて、理研のユニットリーダーに採用されるところまで勝ち残ってきたのが、小保方氏です。
話に聞くところによると、学振に採用されるには、申請書なるものを書かなければならないそうなのですが、それはそれは大変なのだそうです。そして苦労して書き上げても採用されないことの方が多いとか。
常識のある人なら理解するでしょうが、それは「おっさんにホイホイされる愛嬌と家族のコネ」で何とかなるものは到底なく、彼女は厳正な競争をくぐり抜けてきたのでしょう。
その事実と、あの「♡」のノートの気が遠くなるような落差!
この落差の理由を誰か説明して頂きたい。
数多の競争者の中から小保方氏を選んできた、AO入試の試験官、学振の審査員、理研の採用担当者は、何を以てそう判断したのか?


そして更なる疑問は(多くの方が挙げておられますが)、大学入学以降のこの小保方氏のキャリアの中で、誰も彼女に「実験ノートの書き方」というものを指導しなかったのか?ということです。
この「誰も」の中には、勿論彼女の大学・大学院時代の指導教授も入りますが、ラボの先輩やら同輩やら、一緒に実験をしていた方々は、見ようと思わなくても垣間見えたであろう彼女の「自己流」のノートにダメ出しをしなかったのか、問題視しなかったのか?
理研の笹井氏は自身の会見で

小保方さんは直属の部下ではないため、学生などに言うように「実験ノートを見せなさい」と言うことはなかったです。

と巧みに責任逃れをしていましたが、これこそ大きな疑義が残ります。
若山氏も同様ですが、同じ研究室で長時間一緒に実験をしていれば、小保方氏がノートをとるところ、もしくは大事なことすらノートにとらないところも、いやでも目にする機会はあったのではないでしょうか?
指導者として小保方氏に関わった方々が、皆、笹井氏のように、「『実験ノートを見せなさい』ということはなかった。」と言うのならば、上に挙げたtweetの中の、「おじさま方への目配せ」は成り立たなくなりますし。
だって、「おじさま」に見てもらえないノートに「目配せ」(←正しい日本語は「目配り」?)して「♡」を書く必要性ありますか?
逆に、おじさま方、否、小保方氏を指導する立場にあった方々が、ノートに書かれた「♡」を見て「女子力」にシビレていたのだとしたら、何故折角目にした酷いノートに驚き「ノートの取り方」くらい指導しなかったのか?
この謎は、今回の理研の調査委員会のようにどこかの機関が調べて解明してくれるというものにはならないでしょう。
幾つかの大学や研究機関にまたがっている、小保方氏と関わった指導者の方々を誰が調査してくれるというのか?
これこそ、マスコミやジャーナリストの仕事になると思います、当初「割烹着」だ「リケジョ」だと大騒ぎした罪滅ぼしに、是非それをやって頂きたいところです。


さて、この小保方氏のノートを見て、腑に落ちた、というか、逆に得心したこともあります。
それは、小保方氏は「女子力」が高いわけではない、ということです。
「♡」に騙されてはいけません。
「リケジョの星」「女子力高い」というのは、マスコミと世間の、大勘違いだったのではないか。
STAP細胞論文の記者会見の時に、マスコミと世間が勝手に描いたイメージがそもそも間違っていたのでは?
「晴れの場に備えなければ」と大真面目に考えて、ヘアもメイクも(多分)プロの手を借り、
自分が安心して着られるブランド服の中から、多分「黒」だからフォーマル感があると考えて、黒の短いフレヤースカートに黒のカーディガン。
これを「女子力高い」と言えるのでしょうか?
お店の店員が、「これならフォーマル感もありますよ。」とあのスカートにあのカーディガンという普段着を勧めたのだとしたら、その店員はわかっていません、あのTPOに全くのミスマッチ。
女子アナとか、CAとか、「女子力偏差値MAX」と言われている方々なら、スーツでしょ、ここで選ぶのは。
そして、ブランドのことなど全然知らないマスコミのおじさんたちが、柄にもなく大はしゃぎして、「何でも『ヴィヴィエン・ウエストウッド』というイギリスの『ブランド』を、小保方さんは好きなんだそうだ。」とばかり、全国紙の紙面にまでそれが載るという嘆かわしさだったのですが・・・。
ヴィヴィエンって、もう終わったブランド、失礼、旬はとっくに過ぎたブランドじゃないですか?
論文に疑惑が持ち上がってから週刊新潮が「独占スクープ」として書いていた記事の中にも、「お気に入りのブランド、ヴィヴィアン・ウエストウッドのトートバッグを肩から提げ」とわざわざ出てきましたが、誠に失礼ながら、30代の女性の持ち物としてそれほど衆目を集めるものでしょうか?
わかる方にはわかると思いますが、ヴィヴィエンというのは、嘗てのピンクハウスミキハウスと同じようなポジションではないでしょうかね、今は。
器用に広く流行に乗っていけなくて、それでいて「人と同じものは嫌!」というこだわりもあり、他方頑固で一つのブランドにこだわってそのブランドのものばかり長年着ている、値段もそこそこ高いので逆に安心して着ることができる、みたいな?
学生時代から人一倍熱心にラボにこもって実験をしていたという小保方氏ですから、フツーの女子大生のように何冊もファッション雑誌を読んで出ているお店をクルージングして、という時間などなかったとしても当然です。
マスコミや世間がこぞって反応した「割烹着」「ブランド」「お気に入りの指輪」「ピンクの壁紙」「ムーミン」等々、本当はどれもこれも、30歳女性の「女子力」としては少々心もとない、はっきり言えば、かなりアブナいもの、だったのです。
「何を根拠にそんなことを!」とお怒り、訝られる方には、30歳代の女性を対象にした「VERY」

VERY (ヴェリィ) 2014年 06月号 [雑誌]

VERY (ヴェリィ) 2014年 06月号 [雑誌]

という雑誌を手に取られて、小保方氏の有り様と比べてみることをお勧めします。
翻って。
4月10日の会見時に小保方氏が着ていたワンピースは、外出できない小保方氏の代わりにお母様が用意された、と報道で読みました。
そのワンピースはヴィヴィエンではなく、他のもっとオーソドックスなブランドのものでしたが、あれは母が選ぶものとしては、最高にして最適のチョイスであったと思います。
ワンピースというチョイスも、あの場合、スーツは本人が試着しないとフィット感とか感じがわかりませんからお母様とて本人不在では買えない、その次善の策として、「とにかく1枚着てしまえば何とかなる」ワンピースは最適でした。
しかも、「何とかなる」ためには、材質の良さ、洗練されたデザインが重要になってきますが、あのワンピースは完璧でした。
あのワンピースを選んでくるお母様、というのは流石だと思います。
ただ、私見を言わせていただくと、パールのネックレスは違うかな、と思いました、ノーアクセサリーはお子様っぽくなるとして、銀のネックレスかペンダントくらいの方がベターだったかも。
とにかく、あの会見の時も成り行き上(マスコミに包囲されて外出できなかった)、ホテルの美容室でヘアメイクをしてもらって、小保方氏の「女子力」の実力ではないところで、「女子力」を発揮してしまった結果、バッシングと同情を両方受けることになったのです。
バッシングは勿論、誤解に満ちた同情も、小保方氏が意図したものでも欲したものでもなかったのでしょう。


小保方氏の実像は、器用に立ち回る「女子力」などというところには全くなく、また、コツコツと几帳面にデータを積み上げる、とか、「女子力」を発揮してカラーペンやら色とりどりの付箋を使って図表やイラストもいれて詳しく記したノート、

東大合格生のノートはかならず美しい

東大合格生のノートはかならず美しい

とか作りそうなイメージを見事に裏切る、凄まじく荒削り(?)のノートテイカー、というものです。
後だしじゃんけんではありませんが、私は当初から、小保方氏はそういうキャラの方ではないか、と思っていました。
どういうキャラかと言うと、人並みはずれた集中力を持つ一方、例えば普段の生活では「片付けられない女」で部屋の中がぐっちゃぐちゃだったり、でも本人は「どこに何があるかは把握している」と嘯いているようなキャラ。
ファッションやお洒落に興味があるが、実際には仕事が忙しくそれは二の次三の次になる、だからこそ、ファッションにはこだわりがある、という逆説的態度。
これまた、「他人と同じはイヤ!」という自己主張は強いのに、同年代のミーハー女子がやっていることが気になり、真面目に追ってしまうという逆説的態度。
「不思議ちゃん」という言葉は、私は好きではないのですが、世の中ではこう呼ばれることもありますね、こういうタイプは。
奇妙なことに、「リケジョ」と同じく、これはジェンダー的に差別語というか、男子には用いられない言葉です。
男子学生、もしくは、男性研究者で、殆ど実験ノートはとらない、パソコンの中の資料はぐちゃぐちゃ、世界的権威ある雑誌に投稿した論文の画像が、本人の不徳の致すところにより間違いだらけ、といった場合だったら、世間はどう判断したか、と考えると興味深いですが。
再度話を小保方氏に戻すと、彼女の本質は、「女子力高い」では全くなく(←マスコミと世間が勝手に作った)、あの並外れた集中力であると、昨日の、理研の会見を見ていて確信しました。
辞任した石井委員長に替わって調査委員会委員長になった弁護士の渡辺氏、その後会見場に現れた川合理事、彼らが詰めかけた記者に対峙した時間は、小保方氏が自身の記者会見において記者の質問に答えた時間に比べれば遥かに短いものでしたが、ベテラン弁護士の渡辺氏や、いつも沈着冷静な川合理事でさえ、会見の終わり頃には、集中力が切れたのか、渡辺弁護士は最初標準語のアクセントであったものが関西弁のアクセントがぽろりと出たり、本来ならば言うべきではない「個人的意見」を発したり、川合理事も口調がカジュアルになるなど、長年高度な知的職業に就いている方々ですら、そうなのです。
記者の質問の趣旨が理解できず、聞き返す場面も、終盤は多くなりました。
それに比して、小保方氏が長時間の会見時、最初から最後まで保ったあの集中力。
記者の質問を的確に理解し、一言の失言もなく、敬語も完璧で会見の最後までそれを貫く、というのは、常人の能力を遥かに越えています。


で、思うのです、彼女、小保方氏は、その集中力で以て、今まで大学や大学院、理研で実験をしてきたのだろう、ということを。
小学生の観察日記程度の実験ノート、出たとこ勝負の画像の整理、それでも、この集中力と、失敗にへこたれない根性と、閃きだけで、ネイチャーに投稿するところまで、登り詰めてきたのだ、と。
代理人の弁護士の方々は、実験ノートがショボいこと、それで新たなバッシングを受けることを承知で、それでも尚、小保方氏の本質は毀損しないと踏んだから、自ら「陽性かくにん!よかった。」「♡」と打ち込んだものを公開したのかも。
小保方氏が数々の関門を乗り越えてきた事実を、「おっさんにホイホイされる愛嬌と家族のコネ」で得られたのだと、何の根拠をもってそこまで下種なことが言えるのか、私にはわかりません。
寧ろ思うのは、「不思議ちゃん」であり「片付けられない女」かもしれなく「アンファンテリーブル(←彼女、30歳過ぎてますけど)」とも言える小保方氏の、その類希な才能を、日本の科学のために、もっと上手く使ってもらう道はなかったのか、ということです。
小保方氏は、今一番大きな代償を払っていると思います。
それは、世間のバッシングなどではなく、「実験ができない」という何より辛い罰です。
この小保方氏にとって最大の不幸は何故起こったのか?彼女一人の責任なのか?この不幸はいつまで続くのか?
そして彼女の不幸を引き延ばす権利など、本当は誰にもないことに気がつきます。

今まで彼女に関わった全ての指導者の怠慢を嘆くべきか、勝手に虚像を作り上げておいて、手の平を返すように酷い言葉を投げつける以外のことは考えようとしないマスコミや世間の人々の薄情さを嘆くべきなのか。

小保方さんの粘り強さ 研究者として段違い NHK「かぶん」ブログ

これ ↑ は、たった、3ヶ月かそこら前のことだったのでした。